渋谷にて。『(500)日のサマー』('09)や『インセプション』('10)でさわやか青年のイメージを確立したジョセフ・ゴードン=レヴィットが、なぜかいきなり長髪の小汚いメタル野郎に大変身。聴く音楽はザ・スミスからメタリカに変わった。神出鬼没の男、気に入らない奴の車を爆破し、人の家に侵入してはあたりをめちゃくちゃに破壊する謎の人物ヘッシャーを演じている。こんなのトム君じゃない! この作品は、見かけよりもかなり複雑な構造を持った映画ではないかと感じたのですが(理由は後述します)、生気を失った父親とバランスの崩れた家族の元へいきなり現れたヘッシャーが周囲を変えていく、という基本的なプロットだけに収まらない要素が数多くありました。実はわたし自身読み取れたのかどうかわからない部分もあったのですが、映画そのものはかなりたのしく見れました。 作品を見ていて気がつくのは、どうやらこの映画におけるヘッシャー
どうでもいい話だが、俺は(特定の世代向け)コンピレーション・アルバムというのが嫌いである。最近でも70〜80年代の懐かしのヒット曲を無節操に寄せ集めては、「あの頃」に青春時代を送り、現在は生活に余裕もある大人達から、安易に小銭を掠め取るセコい商売が横行している。この手の商売を見るにつけ、「けっ!つまらん懐古趣味なんて糞食らえ!」と、普段から憤慨しとるわけだ(生活に余裕がない者の僻みでは決してない。決して)。 一方で、トリビュートアルバムやカバー曲なんかは好きだったりする。こちらは元々、一定の評価を得ている楽曲をに対して、影響を受けたアーティストが元曲に賞賛・尊敬を捧げつつ、オリジナルのアレンジを施す。真っ向から挑んで玉砕する者、変化球で勝負する者…。そこには只のノスタルジーではないプラスアルファがあり、アーティストの力量次第で、元曲以上の超名曲や、愛すべき迷曲が楽しめる事もある。 で、『S
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