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2017年2月14日のブックマーク (5件)

  • 今日失恋しました。不器用どストレート恋愛でポジティブに生きる|鳥巣愛佳@エアロビのお姉さん|note

    新卒フリーランスでエアロビのお姉さんとして活動しています鳥巣愛佳です。普段はブログを書いていますが、noteは約1年ぶりの更新ですね。 社会人になってもうすぐ一年、紆余曲折ありますが総じて人生を楽しんでいます。 そんな情報はどうでもよくて、今日私は失恋してきました。 いまこうして失恋という文字を打って認識できたくらい、ごく自然な流れでの失恋でした。 去年の6月頃に知り合った人で、気づけば大好きになっていました。 自他共に認める徹底的な変わり者で、でも賢さと優しさや人間味があるところが大好きだったんです。 しかしその人は関西、私は東京在中。 ラインなどのやりとりはよくしていましたが、会えるのは2ヶ月に1回程度。私が仕事で関西に行く時に会ってもらったり、その人が東京に来る時もしっかり予定を空けていました。 23歳にしてまともな恋愛経験がなく恋愛偏差値底辺の私が好きになるなんて、おこがましいとさ

    今日失恋しました。不器用どストレート恋愛でポジティブに生きる|鳥巣愛佳@エアロビのお姉さん|note
  • ある紅茶専門店の閉店と、SNSとの関係性について - たかみめも

    1月の末、都内のある紅茶専門店が閉店を迎えてしまいました。こう言ってしまうとどの紅茶専門店かがすぐにわかってしまうのですが、まぁこの際いいでしょう。 このお店は私の家からはそれなりに距離があり、なかなか行けるところではありませんでしたが、紅茶の美味しさと何よりもクオリティの高いお茶菓子のためにたまに行っていたお店ではありました。 常連さんの多いお店ではあったものの、お茶菓子の美味しさから口コミが広まり、一見の方々もよく来られるお店だったように記憶しています。雰囲気もよく紅茶、お茶菓子のクオリティも高く、とてもいいお店でした。 この紅茶専門店の閉店の話を聞いたのは1月中旬頃、ある別の紅茶専門店で「○○さんが閉店するらしい」という話を聞いたことが始まりでした。そこから色々と情報を調べてみたところ、閉店自体は紛れもない事実であることがわかりました。そして、その情報の中には閉店に至る理由などが多々

    ある紅茶専門店の閉店と、SNSとの関係性について - たかみめも
  • スタートアップに向く人、向かない人(エンジニア編)|えとみほ

    先日、機械学習エンジニアを募集する広告を出したところ、複数の人から「旦那に頼めばいいじゃん」と言われた(知り合い以外の方のために説明すると、私の夫は工学の博士号を取っているソフトウェアエンジニアである)。 確かにスキルマッチング的にはドンピシャではあるのだけど、夫とは実際に半年ほど働いてみて、すぐに一緒に働くのは無理だと断念した。少なくとも、今のスタートアップのフェーズでは、彼の能力や経験を生かしきれないと思ったからだ。 スタートアップに必要なのは「雑でもいいから速い人」先に少しだけ夫のバックグランドを話すと、彼は20代後半まで大学の研究室で働いており、その後私と出会ったVR系のベンチャー企業に転職し、30代前半でソーシャルゲームの会社に2回目の転職をした。職歴としては、そのソーシャルゲーム会社での経験が最も長いと思う。 ソーシャルゲームの会社では、ゲームの開発ではなく、不正なユーザーを

    スタートアップに向く人、向かない人(エンジニア編)|えとみほ
  • タラレバ娘って

    めっちゃ恵まれてる人たちにしか見えない。 東京に住んでてお洒落な仕事してて腹割って話せる友達がいて… しかも結婚してないだけで全くモテないってわけじゃなくて今までそれなりに付き合ったりチヤホヤされてきた人たち こんな恵まれてる奴らが「私たち結婚できないから不幸~」みたいな面してんのすげー腹立つ 何の才能もなくて友達もいなくてそれしか生きるすべがないから田舎の20歳年上のジジイと見合い結婚して毎日家事育児介護仕事で生ける屍みたいになってる私と誰か替わってくれよ 結婚さえできればいいんだろオイ替われよ

    タラレバ娘って
  • 【コラム】すごい昔「幸福の科学」の東京ドーム集会に潜入した時の話

    何を信じるも人の自由であるが、宗教団体『幸福の科学』への出家を理由に、いきなり芸能界の引退を表明した清水富美加さんが大きな話題となっている。 そんな清水さんは1994年の12月2日生まれの22歳であるが、今回お伝えしたいのは、彼女が生まれた16日後に、当時中学生だった私(羽鳥)が体験した話である。1994年12月18日の日曜日、幸福の科学が東京ドームで開催した超大規模な集会に、幸福の科学の信者でもない私が、実はたった1人で潜入していたのだ。 ・突如プラチナチケットが舞い込んできた 1994年の冬のある日。私の母が、困った顔で1枚のハガキを眺めていた。よく見ると、それは幸福の科学の東京ドーム公演のチケット的なモノであった。なんでも価格はウン万円というプラチナチケット。どっから入手したのか母に聞いてみると、 「もらった」 のだという。詳しくは書かないことにするが、とにかく「もらった」のだという

    【コラム】すごい昔「幸福の科学」の東京ドーム集会に潜入した時の話