2018年2月16日のブックマーク (2件)

  • 岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは

    早稲田大学は12月11日、ICC(早稲田大学国際コミュニティセンター)開設3周年記念「働く杯」を開催、特別講演でサッカー日本代表監督の岡田武史氏が自らの仕事に対する姿勢を語った。 岡田氏は早稲田大学卒業後、古河電気工業(ジェフ千葉の前身)や日本代表でディフェンダーとして活躍し、1990年に現役を引退。引退後は指導者の道を歩み、ジェフ市原コーチ、日本代表コーチを経て、フランスW杯最終予選では更迭された加茂周氏の後任として日本代表監督に就任、日を初のW杯出場へと導いた。その後はJリーグのチームの監督として年間王者に2度輝き、2007年からはイビチャ・オシム氏の後任として再び日本代表監督を務め、南アフリカW杯への出場を決めている。 勝っても違和感があった 岡田 僕はフランスW杯の日本代表監督を辞めた後、J2のコンサドーレ札幌の監督に就任して、2000年にJ2で優勝してJ1に上がって、J1で1年

    岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは
    riohei
    riohei 2018/02/16
    あとで
  • W杯に至る激動の4年……オシム、岡田両監督を支えた大熊清が日本代表チームで見たものとは - ぐるなび みんなのごはん

    日本代表では2006年から2010年までコーチを務め、 イビチャ・オシム監督から岡田武史監督へと代わる激動の時を過ごした 2003年と2005年はワールドユースの監督も務めた そんな経歴の大熊清はセレッソ大阪の強化部長になった FC東京でもセレッソ大阪でもJ2時代という苦しい時期を指揮した 昇格させてJ1で指揮を執るのを楽しみにしていたのか だがどちらのチームでも昇格後は身を引いている 名を上げる、野心を満たすという感情は大熊には無縁だ 「大変だった」という日本代表コーチ時代の話を絡めつつ 何を知り何を見てそんな心境になったのかを聞いた J1に昇格させた後、監督を続けなかった理由 チームを昇格させたのにJ1でそのまま監督をやらなかった理由は、まぁ、いろいろありますけど、どうだろうな……何かな。自分の経験とか、東京や大宮、セレッソの色とか見てきて、それで自分が変わってきたというか。 2003

    W杯に至る激動の4年……オシム、岡田両監督を支えた大熊清が日本代表チームで見たものとは - ぐるなび みんなのごはん
    riohei
    riohei 2018/02/16