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戦争と歴史に関するrk22のブックマーク (3)

  • asahi.com(朝日新聞社):戊辰戦争でプロイセンに提携持ちかけ 会津・庄内両藩 - 文化

    駐日代理公使が宰相ビスマルクにあてた文書。冒頭の行に「Aidzu」(会津)「Schonai」(庄内)の文字が見える=ドイツ国立軍事文書館提供、資料番号RM1,867,6rビスマルク  戊辰戦争での薩摩・長州を中心とした新政府軍との対決を目前に、会津・庄内両藩がプロイセン(ドイツ)との提携を模索していたことが東京大史料編纂(へんさん)所の箱石大・准教授らの研究で明らかになった。ドイツの文書館で確認した資料は、両藩が北海道などの領地の譲渡を提案したが、宰相ビスマルクは戦争への中立などを理由に断ったことを伝えていた。  ドイツの国立軍事文書館の資料で、10年ほど前にドイツ側の研究者が存在を紹介したが、詳細が不明だった。  箱石さんらの調査で確認されたのは、1868年の文書3点。いずれも、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読、日語に翻訳した。  (1)7月31日付で駐日代理公使のフォ

    rk22
    rk22 2011/02/06
    当時のプロイセンにどの程度の外征能力があったのかといえばちと疑問だが
  • 育ててくれたのは母の仇、ボスニア紛争に翻ろうされた少女

    ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ(Sarajevo)でAFPの取材を受けるミラ・ヤンコビッチ(Mila Jankovic)さん(2010年11月2日撮影)。(c)AFP/ELVIS BARUKCIC 【11月22日 AFP】セルビア人の女の子として育ったミラ・ヤンコビッチ(Mila Jankovic)さんの人生が一変したのは2008年、17歳のときだった。それまで培ってきた自分のアイデンティティーがすべて誤りだったと知り、死を望んだ。 セルビアの首都ベオグラード(Belgrade)でセルビア人として育ったミラさんは、自分が養女であることは以前から知っていた。そして16歳のとき、養子の多くが経験するように、「自分が誰なのか知りたい」という思いが抑えきれなくなった。 セルビアの社会福祉機関は、DNA鑑定によりミラさんの実の父親を探し当てた。対面したのは、面会できると知らされたほんの数時間

    育ててくれたのは母の仇、ボスニア紛争に翻ろうされた少女
  • ワラノート:世界大戦中のプロパガンダ広告の画像ください

    世界大戦中のプロパガンダ広告の画像ください 2010-07-31 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/30(金) 22:44:16.37 ID:ca33Pyel0 日兵が凄いことになってるやつ 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/30(金) 22:46:14.79 ID:xQ2rx9Ag0 m9 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/30(金) 22:49:04.09 ID:kMTFOK7m0 7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/30(金) 22:50:38.72 ID:fNf+PBSyO >>5 いいねぇ~スターリン時のロシアは 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/30(金) 22:53:22.51 ID:

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