権力側からしたらテロは悪だし、屈してはいけないものなのだ。結果としてテロリストの要求を部分的に取り入れたとしても、テロに屈したというポーズは少しも見せてはならない。これは駆け引きであり、戦いでもあるからだ。権力側の人はテロを必ず否定するだろう。 しかし、権力側にいない人にとってテロは実は否定も肯定もしないものなのかもしれない。無差別殺人テロによって親類や友人が殺されたらたまったものではないが、そうでなければ、そのテロがどの程度効果的であるか、が気になるところなのではないか。 テロはコミュニケーション不和から生じる暴力のようなもので、ある程度の目的があってなされるものである。その目的や目的への合理性がテロを評価する基準であり、テロには屈してはいけないなどと本気で考えてる市民はあまりいないのではないだろうか。 テロのニュースを見たとき、自分がすこし興奮していたことに気づいた。それは、この世の中