誰もが順風満帆な野球人生を歩んでいくわけではない。目に見えない壁に阻まれながら、表舞台に出ることなく消えていく。しかし、一瞬のチャンスを逃さずにスポットライトを浴びる選手もいる。華麗なる逆転野球人生。運命が劇的に変わった男たちを中溝康隆氏がつづっていく。 絶頂期に起きた事故 「そんな記録なんかいらんよ。オレはうれしくも何ともない」 かつて新記録を作ったにもかかわらず、そんな怒りのコメントを残した選手がいた。中日時代の大島康徳である。通算代打本塁打16本のセ・リーグ記録だったが、「ホームランを、代打で打つしかない自分が悲しいよ」と、バリバリのスタメンでいられない自分への苛立ちを隠そうとしなかった。 中学時代までバレーボールに熱中しており、中津工業高で野球を始めて、わずか2年半で中日ドラゴンズから1968年ドラフト3位指名を受けた。のちに名球会入り選手を7名も輩出し、空前の当たり年と言われるド