任那(みまな/にんな、임나、?-562年)は、古代に存在した朝鮮半島南部の地域を指す歴史地理的地名。主として『日本書紀』に代表される日本の史料において用いられる他、広開土王碑文等に用例がある。一般的に伽耶と同一、または重複する地域を指す用語として用いられる。 概要[編集] 一般的に『三国志』に登場する狗邪韓国(倭人伝)または弁辰狗邪国(韓伝)の後継にあたる金官国を中心とする弁韓、辰韓の一部、馬韓の一部(現在の全羅南道を含む地域)を含む地域を指す地名とされる。任那諸国[1]の中の金官国(現在の慶尚南道金海市)を指すものと主張する説もある(後述)。 後に狗邪韓国(金官国)そして任那となる地域は、弥生時代中期(前4、3世紀)に入り従来の土器とは様式の全く異なる弥生土器が急増し始めるが、これは後の任那に繋がる地域へ倭人が進出した結果と見られる[2]。 第二次世界大戦後、政治的な理由により任那問題を
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