いまでは考えられないことだが、第1志望は東京大、スベリ止めに京都大という大学選びができた年があった。1987、88年、国立大学の試験日がA日程=2月下旬、B日程=3月上旬に分けられる方式がとられ、東京大がB、京都大がAの日程で試験を行なったのである。AB両日程の入学手続きが同日なので、京都大に合格し入学する権利を持ちながら、東京大の合格日まで待つことができる、という方式だ。 これによって、1987年、東京大、京都大の両方に合格した受験生が約1800人おり、このうち8割以上の1500人は東京大に進んだと、予備校関係者は分析していた。いちばん悲惨だったのが、京都大理学部である。同学部の合格者465人のうち、東京大(理一、理二、理三)合格者が381人もいた。京都大に入学手続きしたのは230人であり、差し引き235人つまり、学部合格者の半数以上にソデにされたことになる。