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2015年10月31日のブックマーク (2件)

  • 誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したかをオタク史で振り返る

    はじめに90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネットの個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。 稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したのか、その変遷を整理することである。 「おたく」の誕生第一回コミケは1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニアと自称しており、オタクではなかった。もっとも二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄

    誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したかをオタク史で振り返る
  • フリーゲームとニコニコとカドカワ

    この辺りの流れすら把握してない奴が最近になって商業主義だなんだと騒いだりしてるので、備忘録がわりにまとめておく。 実況はメディア展開作品&ランキング常連実況者の開始日(つまり大体この実況によって広まったが例外もある)。 メディア展開は最初の展開物&その発売日(一部例外あり)。 ニコニコメディア展開08年以前黎明期 【実況】「ゆめにっき」「ニコニコRPG」など2007年を最後にコンパクも終わり、ツクールはお荷物部門として扱われていた09/5【実況】「青鬼」/ボルゾイ企画 ホラーフリゲ実況バブル始まる とにかくホラゲなら実況された時代 【実況】「包丁さんのうわさ」「タオルケットをもう一度」「いちろ少年忌譚」「奥様は惨殺少女」「操」 11/12クリエイター奨励プログラム開始12/4【実況】「Ib」/多数 【実況】「Paranoiac」/鎌首・わこうebがIb製作者インタビュー pixivがIbカ

    フリーゲームとニコニコとカドカワ