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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (6)

  • インターネットの「平気でうそをつく人たち」 - いつか電池がきれるまで

    こういうのをここで書くのもどうか、とは思ったのだが、そもそもここは「そういうこと」を書く場所ではあるので、吐き出しておく。 ただし、直接リンクを張ったり、具体名をあげたりするのは、なるべくやめておく。わかる人にはわかるだろうし、わからない人は、わからないまま、関わらないままにしておいた方がいいと思うから。僕自身も関わりたくない、というのと、どうしても言及しておきたい、という両方の気持ちが入り乱れているのだ。 某(自称)超有名女性ブロガーが8月の後半に離婚記事を書いて、その1カ月半後くらいに再婚がアナウンスされた。 人によると、「実は今年の1月に離婚していたが、6月くらいまでは家族として一緒に仲良くやっていて、やり直す道を模索していたが、夏に再婚相手との出会いがあって『少しずつ距離を縮め』、再婚に至った」らしい。子どもは「顎の手術で1ヶ月くらい入院しなければならいので、家を空けることになり

    インターネットの「平気でうそをつく人たち」 - いつか電池がきれるまで
  • ネットが生んだのは、フラットな社会ではなく、これまでの「党派」の焼き直しでしかなかった。 - いつか電池がきれるまで

    d.hatena.ne.jp このエントリについて、思ったことをつらつらと。 清水さん上から目線で感じ悪い、というコメントがたくさんあって、僕も正直、ヨッピーさんはいくらもらってもPCデポの提灯記事とかは書かないだろう、とは思うんですよ。 いまの広告というのは、「商品をあからさまに宣伝する」というものではなくて、企業やブランドのイメージ、あるいは好感度を上げる、というようなもののほうが目立ってきていますし。 少なくとも、ヨッピーさんの記事の多くは、クライアントへの「親しみ」をアップさせるのに貢献していると感じます。 いまのネット界隈をみていると、イケメンや美人が思い入れもないのにやっている「ビジネスアニメ好き」「ビジネス鉄道好き」みたいなのって、すぐに底が見えてしまうんですよね。 みんなの「人を見る目」は、けっこう正しい。 でも、このエントリには、清水さん感じ悪い、で読み飛ばしてしまっては

  • 『はてなブログ』で、「いい記事を書く」ということ - いつか電池がきれるまで

    はてな」的な話を書いてみる。 www.nek654-yurulife.com うーむ。 このエントリを読みながら考えていた。 そもそも、「いい記事」とは何なのか? たくさんの人に読んでもらえる(PV(ページビュー)が多い)と「いい記事」なのか、多くの人がブックマークしてくれると「いい記事」なのか、モノがたくさん売れると「いい記事」なのか、反応がたくさんあると「いい記事」なのか? まずは、自分にとっての「いい記事」の定義を持つことが、けっこう大事なんじゃないかと思う。 僕は、書き終えて「公開する」を押したときに、自分で「書けた!」と思えるのが「いい記事」だと自分で決めている。 商売でやるのでなければ、自分のブログの記事の価値判断を他人任せにしてもしょうがないからだ。 もちろんたくさん読まれると嬉しいけれど、たくさん読まれなくても自分では好きだと思っている記事も少なからずある。 というか、僕

    『はてなブログ』で、「いい記事を書く」ということ - いつか電池がきれるまで
    roppara
    roppara 2017/02/25
    「どうでも」とか「見ても見なくても」とういうフレーズがアタマに付く「いい記事」というのは書けそうかもしれん。
  • いま、僕が「インターネット」について語っておきたいこと - いつか電池がきれるまで

    fujipon.hatenablog.com d.hatena.ne.jp id:p_shirokumaさんへ このエントリは、ものすごく個人的な手紙でもあり、だからこそ、ある種の「一般論」みたいなものにもなっているのではないかと思います。 上記のp_shirokumaさんのエントリを読みながら考えたことについて、けっこう率直に書いてみます。 僕自身が、「はてなダイアリー」の黎明期に体験してきたこと、実際に何度かブログを休止したり閉鎖したりしたことの大きな理由は、僕自身にあるのは間違いありません。 「ナイーブ」であるとか「ネットの世界を甘くみている」というのは、僕自身の特性でもあり、地味な人生をおくってきた人間が、ネットのなかのごくごく狭いステージでも、「自分で好きなことを書いて、話を訊いてもらえる場所」を持ってしまったことによる舞い上がりがあったというのも事実です。 でもね、僕にとっての

    いま、僕が「インターネット」について語っておきたいこと - いつか電池がきれるまで
  • 「2015年に個人ブログをやっていくこと」について - いつか電池がきれるまで

    参考リンク(1):最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記 最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記 あけましておめでとうございます。 2015年最初のエントリということで、僕がいま、ブログというものに感じていることなどを書いてみます。 新年早々、orangestarさんのエントリを読んで、懐かしくなったこともあって。 どんなにインターネットの世界が広がり、いろんなことが効率化されても、3か月の赤ん坊は夜泣きをし、僕は1〜2時間毎に起こされるのです。 毎日ブログを更新するということは、夫婦喧嘩をしていたり、仕事で問題を抱えていたり、育児に悩んでいながらも、平然と(見えるように)、映画の感想を書く、ということでもあります。 僕は「夫婦円満の秘訣」とか、「育児のコツ」とかを書いたブログを読むたびに、「こういうエ

    「2015年に個人ブログをやっていくこと」について - いつか電池がきれるまで
  • 「サードブロガー」への「違和感」の正体について - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:“サードブロガー”再考 - あざなえるなわのごとし いまさらながら、という話なのですが、僕なりにキチンと整理しておかないと気が済まなくなってしまったので、書き残しておくことにします。 ブログ論とかに興味がない人は、長くて何が書いてあるのかわからない記事だと思いますのでスルー推奨。 はてなブログを中心として盛り上がっていた「サードブロガー運動」に対して、僕は冷ややかに見ていました。 新しい人たちに出て来てほしいなあ、と思いつつも「サードブロガー」と名乗る人たちに共感できないのは、たぶん、彼らの多くが書いている内容が「ライフハック」とか「ブログ論」とか「身内への言及」とかで、「内容は全然新しくないのに、看板だけ換えているようにみえるから」なのだと思う。— FUJIPON (@fujipon2) 2013, 10月 25 当に内容が差別化できていれば、看板なんてどうでもいいし、周囲

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