長谷川裕子の人形展は一昨年に続き二度目となる。 冬の陽光というテーマの今回の子供たちは、丁寧に手編みされたセーターに着膨れて元気な姿を画廊に現してくれた。 長谷川裕子は「心の奥底にある幼い日のせつなさを作品に重ねたい」という。母がそばにいないだけで不安だったり、けんかしてあやまれなかったり、なんとも形状できない心もとなさとともに過ごした幼い日々。 だれでも振り返れば幼い日の物語をもっている。長谷川はその一つ一つの物語に分け入るように人形をつくる。冬の日だまりのなかの昭和の残像として彼女の人形はいきいきとその時代を語りはじめるのだ。 長谷川裕子は1960年栃木県小山市生まれ。1982年に四谷シモン氏の創設した「エコール・ド・シモン」に入学、’84年には創形美術学校造形科卒業し、同年あの内倉ひとみが経営していた「スタジオ4F」で初個展。等身大の自塑像と並ぶパフォーマンスをした。その後個展やグル
スティーブ・シルバーマン『自閉症の世界』(正高信男・入口真夕子訳 講談社ブルーバックス)が刊行されました。この本の原書"NeuroTribes"は、欧米では数々の賞を受賞した話題作なのですが、翻訳は全訳ではありません。これは訳者あとがきにも書いてあるとおりです。 カット部分が最も大きいのは序章で、おそらく1/10くらいに縮められています。内容も大きく変わっているため、章題も変わっています。訳書では「自閉症は増えているか」ですが、原書では"Beyond the Geek Syndrome"、「ギーク症候群を超えて」というタイトルで、シリコンバレーの話や、著者が本書を書くに至ったきっかけなどが書かれています(Perl開発者であるラリー・ウォールの話もカットされた部分に出てくるんですが、エピグラムはそのままなので意味がわからなくなってます)。 巻末の謝辞や参考文献一覧も割愛されてます。謝辞はとも
とても辛い連絡が来ました とにかく学校が辛くて辛くて仕方が無い。居場所もなく、自分はまるでいないものとして扱われている。時々かかる声はからかいや嘲りのみ。そして、発達障害(ADHD)という診断も受けていて、二次障害の鬱も発病しつつある。学校に通い続けるのはもう限界かもしれない。死にたい気持ちも強くなってきた。そういう状況にある中学2年生の方からご相談がありまして、直接返すには少し内容が長くなり過ぎるので、こちらで応答させてもらいます。ついでに、同じような状況にある人にも届けばいいなぁと思います。 まず、なんですけど。とてもその気持ちはわかります。僕は中学校はまだマシでしたが、高校は完全にその状態で非常に辛かったことを覚えています。小学校も辛かったですね。グループを作る授業、体育、音楽の授業の共同演奏など本当に苦痛でしかないですよね。どこにも居場所がなく、授業中が一番気が休まる。そういう状態
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