東京・上野動物園の元園長・中川志郎さん 東京・上野動物園の元園長で、ジャイアントパンダが初来日したときの飼育リーダーを務めた日本動物愛護協会名誉会長の中川志郎(なかがわ・しろう)さんが16日午後7時、間質性肺炎のため埼玉県川口市の病院で死去した。81歳だった。通夜は19日午後6時、葬儀は20日正午からさいたま市南区白幡3の10の8のセレモニー武蔵浦和ホールで。喪主は妻啓子さん。 茨城県出身。宇都宮農林専門学校(現宇都宮大)獣医畜産科を卒業し、1952年から上野動物園に勤務。72年に日中国交正常化を記念して同園に贈られたパンダのランランとカンカンが初めてお目見えした時の飼育課長で、「パンダ課長」と親しまれた。 その後、多摩動物公園(東京都日野市)に移ってからは、コアラの飼育も手がけた。84年に多摩動物公園長に就任し、87〜90年に上野動物園長を務めた。
円山動物園 開園60年の歩み語る 現旧2園長が変遷紹介 (09/25 15:00) 動物園の役割などについて話し合う金田氏(右)と酒井園長 開園60周年を迎えた札幌市円山動物園で23日、酒井裕司園長(56)と、1991年まで園長を務めた金田寿夫氏(78)によるトークショーが開かれた。動物、飼育員をはじめ、動物園がどう変化したのかなどについて、エピソードを交えて紹介した。 金田氏は第4代、酒井氏は第12代の園長にあたる。金田氏は「私が動物園に来たときは動物の死亡率は20%以上。お金がなくて餌を買えず、栄養失調による死亡が多かった」と振り返り、使われていない市有地で牧草を作り、エサを確保したことなどを打ち明けた。 酒井氏は、現在の動物園の魅力ある施設として「は虫類・両生類館」を挙げ、「動物を美しく見せる工夫をしており、温度、湿度、光もコントロールできる」などとアピールした。 動物園の役割につい
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