増田⇒海外の文学作品を聖書の理解なしに読める? 私の場合、どういう運命か、先の世の契りや深かりけむか、10代後半から20代前半に、それなりに聖書を読んだ。よく読んだ部類ではないかな。それ以降も読むか。共同訳は全然なじめないし、あれだったら、自分の聖書理解はかなり違ったか。 そういえば、ひょんなことでコイネグリークまで勉強して、気になる部分は原典でたしかめもしたものだった。 若いころは、当然、信仰とか生き方に関連していたが、だんだんその思いは抜けてきている。日本人にありがちな「キリスト教を卒業した」とかでは全然なくて、なんというか、長くなじんでそれが自分になっている以上どうしようもない。 で。 聖書というのは、ある若い時期、人生への刻印として読むという経験がないと、わからないものではないかなとは思う。わかれともまるで思わないが。ある程度、わかるという感じがつかめると、ああ、そういうことかとい