歴史的に見て、当初から左翼思想は反ナショナリズムを標榜していたわけではない。1848年ドイツ革命について言えば、むしろその攻撃的ナショナリズム、ショーヴィズムの急先鋒に立っていたのが左翼であった。たとえばシュレスヴィヒ=ホルスタイン問題において、周辺諸国との戦争を避けるためデンマークとの大幅な妥協に応じたプロイセンを、フランクフルト国民議会の左派は「民族の裏切り者」として断罪し、徹底抗戦を主張する。そして、その先頭に立っていたのは、若きカール・マルクスの「新ライン新聞」である。また、マルクスの相棒フリードリヒ・エンゲルスは、チェック人が左翼主催の民族独立運動に消極的であったため、チェック人を「独立の資格無き劣等民族」と決め付けている。 ドイツ民族意識は、18世紀後半―19世紀初頭にゲーテなどの文学作品によってその支柱が形成され、ナポレオン戦争によって一気に国民運動化するが、その過程でドイツ