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中東和平と20170604に関するrseikaiのブックマーク (2)

  • 遠い和平、薄れる希望=パレスチナ、西岸入植地10倍-イスラエルの占領から50年:時事ドットコム

    遠い和平、薄れる希望=パレスチナ、西岸入植地10倍-イスラエルの占領から50年 東エルサレムのユダヤ人入植地(左側)とヨルダン川西岸を隔てる分離壁=5月31日 【エルサレム時事】イスラエルがヨルダン川西岸などを占領した1967年の第3次中東戦争の開始から5日で50年。6日間で終わったこの戦争は「イスラエル史上最大勝利の一つ」(ネタニヤフ首相)だが、現在まで続く占領体制の始まりとなった。パレスチナ人は武力闘争や和平交渉を通じて占領終結を求めてきたものの、占領の固定化が進み、和平への希望は薄れつつある。  93年のオスロ合意以降、パレスチナはヨルダン川西岸とガザ地区を領土とし、東エルサレムを首都とする国家樹立を目指してきた。しかし、イスラエルとの和平交渉は中断と再開を繰り返し、前回の交渉は2014年4月に中断された。  過去の交渉が失敗した原因の一つが、西岸と東エルサレムでイスラエルが進めてき

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  • 「エルサレムなしには生きられない」=翻弄され続けるパレスチナ人:時事ドットコム

    「エルサレムなしには生きられない」=翻弄され続けるパレスチナ人 第3次中東戦争時の様子について語るパレスチナ人のアイシャ・マスルヒさん=5月31日、エルサレム 【エルサレム時事】ユダヤ、キリスト、イスラム3宗教の聖地エルサレム。イスラエルは1967年の第3次中東戦争でヨルダン支配下にあった旧市街を含む東エルサレムを併合し、東西統一エルサレムを首都と宣言した。イスラエルにとってはエルサレム「解放」だったが、パレスチナ人にとっては故郷の「剥奪」を意味し、多くの人々の人生を翻弄(ほんろう)することになった。  「私の子供時代は美しかった。地域の皆が一つの家族のようだった」。モロッコにルーツを持つパレスチナ人アイシャ・マスルヒさん(71)は振り返った。  67年当時、旧市街のユダヤ教の聖地「嘆きの壁」のすぐ西側には、マグレブ地区と呼ばれる北アフリカからパレスチナに移住したアラブ人の居住地区があった

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