日本の工業デザイナーの草分けとして多くの家具や工業製品を手掛け、25日に96歳で死去した柳宗理(そうり、本名=むねみち)さん。民芸運動創始者で哲学者の柳宗悦(むねよし)(1889~1961年)を父に持ち、美の本質を追い求めた生涯だった。宗悦が目を向けたのは手仕事、宗理さんは大量生産品…2人が歩んだ道は異なるが、「目指すところは一致していた」と柳工業デザイン研究会の柳新一氏(61)は指摘する。今秋、宗悦没後50年を機に新一氏が明かしてくれた「祖父・宗悦、父・宗理の横顔」からは、時に距離を置きながらも互いに認め合っていた父子の姿が浮かび上がる。(黒沢綾子) 祖父・宗悦は私が10歳のときに他界しましたが、家の中でも身なりをきちっと整え、英国紳士のように洋服を着こなしていた印象があります。晩年、脳出血で倒れて体が不自由になってからは着物姿が増えましたが。 一方、わが父・宗理はパンツ一丁で家の中を歩
【ニューヨーク=松尾理也】米メディアのあいだで、相次ぐ爆発と深刻な放射性物質(放射能)漏れに苦しむ福島第1原発に残って作業を続けている50人の作業員への注目が急激に高まっている。16日付米紙ニューヨーク・タイムズは「最後の防御」と題して50人を特集したが、驚くべき自己犠牲の精神に対する称賛の裏側には、この国家的危機に際しても他の電力会社や国際社会の総力を結集できずに手厚い作業体制を敷くことができない日本の対応への疑問やいらだちも透けてみえる。 「日本を核の大惨事から救う最後の頼みの綱」。ニューヨーク・タイムズは50人をこう表現した上で、「彼らは迷宮のように機器が入り組み、停電で真っ暗になった施設内を、懐中電灯だけを頼りに、防護服とマスクに身を包んではいずり回り、海水注入などの作業にあたっている」と、その献身ぶりを伝えた。 「だが、被曝(ひばく)限度を超えれば作業員は現場を離れなければならな
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