吉井川河口部東岸、岡山市乙子にある。かつて児島は瀬戸内海に浮かぶ島であり、児島と岡山平野の間は、吉備穴海といわれる内海であった。この内海は九州と畿内を結ぶパイプであり、源平の争乱の舞台にもなる重要な航路であった。乙子城は、この内海の東の入り口を押さえる拠点でもあった。 この城は備前国の東半を支配していた浦上宗景に仕えていた宇喜多直家が、天文十三年(1544)に宗景の命によって築いた。その後、直家が新庄山城に移転すると、舎弟の浮田忠家が城主となった。 城郭は、標高47.82mの丘陵頂部を段状に整形した本丸と、本丸東側の乙子大明神境内付近を段状に整形した出丸からなる。
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