珈琲とモノクロ写真会社に入ると、僕からみると硬直した価値観に染まっているように見える人に遭遇して驚く。もっとも、向こうから見ればこっちがそう見えるに違いないが、偽装するのは得意(なつもり)なので、気取られていないことを願う。それにしても「無趣味」であることを自慢げに語る人は怖い。マッキンタイアを読んでいても感じたことだけど、あるひとつの価値観に埋没して生きるのが幸福の条件かもしれない。つまり、懐疑精神の欠如こそが幸福の条件のひとつをなしているのだ。念のために表明しておけば、こうした考え方もあるひとつの硬直した価値観の一種かもしれない。 僕の観察としては、人間の欲望の基底は「他者からの敬意の視線によって、自己の存在を確認すること」にあるようである。大金を稼いで豪邸を建てるのも、優れた研究業績を上げるのも、ある宗教に帰依して困窮している人々を援助するのも、これがために他ならないように思える。