ライトノベル作家、浅井ラボが、テケトーに語ります。
あー、なんか仮説。 現実では言われないことがネットでは流通する。だけど流通するのと流行るのと、また承認されることと通用することは違う。 たとえば、教室や職場でもいいけど、現実社会という場で発言を許されるのは十人に九人までだと思う(確率はそれぞれ任意にだけど、日本では人格の偏りは約3%の人間にあるといわれている) 残る十分の一、いわゆる「教室や職場の隅っ子の暗がりにかたまっている、キモいヤツのキモい意見」というのは、現実では発言を許されない。発言しても叩かれる、もしくは普通の感覚が少し残っているなら、話すとキモがられることを予測して話さない。 うん、私のネットでの意見も、あまり現実では言わないことが多い。アホすぎるから。 ただ、端っこのキモいヤツ、というのは実は唯一、民話におけるマージナルマン、社会という人間の枠組みと社会の外にある全体性の世界の間の境界に立ち、社会に警鐘を鳴らす役
季節のお野菜いかがです? 季節の浅井もいかがです? バンバン日記を書いていきたいと思います。 えーとみんな大好き(嘘)な非モテとオタクの話題でも。 送り手の一人ではありますが、私は私のオタク性を肯定しない。少なくとも全肯定はしないです(べつに珍しくもなんともなく、作り手のある一定の割合はそうであるでしょう) 肯定しない理由は、一般基準から外れたことに、一定の含羞を持っているから。それがなくなると、実は娯楽の送り手としても良くないと思っています。一般人の感覚を見て「分かってないよ、あいつら」になると、あまり良くないと思うのですよ。 さてさて、いきなり脱線したけど、オタクと、非モテやキモメンやダサ男ということはまた違う。オタクであることと、他の美点は両立できるから。 モテのトップならファッション関係の人は服オタクだし、芸能人は魅力オタク。さらに言うと、勉強・上昇主義オタの別名、エリ
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