2008年1月18日のブックマーク (1件)

  • 「ふつう」のススメ - 内田樹の研究室

    卒論を四年生たちは全員無事にご提出されたようである。 めでたし、めでたし。 最後のゼミで、ひとりひとりから卒論の自己採点をうかがいながら、私の感想を申し述べる。 読んでわかったことがある。 それは、学生諸君は卒論において個人的に切迫した問題に迂回的に触れている、ということである。 なもん当たり前じゃないかと言うなかれ。 そうでもないよ。 というのは、ご人にとって切迫した問題に触れているなら、どうしてその卒論主題を選んだかをすらすらと言えるはずである。 それが意外なことに、それを自分では言えないのである。 それが「自分にとって切迫した問題である」ということをご人が意識していないのである。 そういうものを何と呼ぶのか、みなさんにはもうおわかりであろう。 そう、「トラウマ」である。 抑圧された心的過程は症状として顕在化する。 卒論はその意味で学生諸君の「症状」なのである。 聞いてびっくりです