非暴力主義だったインド仏教徒がイスラム勢力によって殺戮されたからでしょう。バーミアンの石仏群もイスラム勢力によって顔の部分がことごとく削りとられているでしょう。生き残った仏教徒はヒンズーの最下層アンタッチャブル(不可触民)に落とされ、最下層の仕事をさせられるようになりました。 アンタッチャブルから逃れるためにイスラムに改宗した人もいます。 インドにおける仏教の弾圧は、5世紀頃に起き、13世紀までにインド国内の仏教はほぼ完全に一掃された。 ミヒラクラ王の破仏 5世紀中期にアフガニスタンで勃興し、5世紀末にはグプタ朝と衝突し、ガンダーラ・北インドを支配したエフタルでは、その王ミヒラクラ(Mihirakula、在位512年-528年頃)の代に、大規模な仏教弾圧が行なわれた。 ミヒラクラは、ゾロアスター教系と思われる「天神火神」を信仰し、仏教を弾圧したとされる イスラム教の侵攻 中世における後期イ