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ブックマーク / kechack.hatenadiary.org (3)

  • 「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業 - Munchener Brucke

    最近は学校教育ばかりに目が行くが、社会教育とりわけ職業教育の分野で今の日は目詰まり状態にある。製造現場や運輸事業などで相次ぐ事故。明らかに日の現場力が落ちているという現実をもはや否定できない。 日式経営というものは、中途半端に教育を受けている人材より純粋無垢な人材を企業カラーに染めることを重視したきた。大企業は製造業の現業員であれば工業高校で最低限の技術教育を受けていればいい、大卒社員でも大学で学んだ内容は余り重視せず、潜在的能力さえあればいいという考えが支配的であった。 しかし90年代以降、新入社員をじっくり育てる大企業が軒並み新卒採用を減らし、非正規雇用に切り替えたり、即戦力確保のための中途採用に踏み切るようになった。一方で新興企業は大企業のリストラにより即戦力の確保が比較的容易であり、企業内での基礎的職業教育のノウハウがなくてもそこそこうまく行っていたのである。 現在どういう問

    「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業 - Munchener Brucke
  • 結局、世論は子供が犠牲になる事件はすべて重く罰して欲しいということ - Munchener Brucke

    埼玉の園児死傷事故、運転者に危険運転致死罪適用されず 川口の園児ら死傷事故 「危険運転」での起訴断念 遺族ら「納得できぬ」 結論から言うと、世論は子供が犠牲になる事件はすべて重く罰して欲しいのである。危険運転致死傷罪は1999年に東名高速道路で起きた、泥酔した大型トラックが子ども2人を焼死させるなど7人を死傷させた事故が契機に立法化されたものであるが、犠牲者が子どもでなければここまで世論は盛り上がらなかったであろう。 世論が求めていたのは、飲酒などの危険運転を減らしたいというのが主眼ではなく、子どもを殺したやつを重く罰して欲しいだけなのだ。今回の検察の判断に関して、報道ステーションの古舘伊知郎は「法律はつくづく不備だ」と言っていたが、ちょっと的外れなコメントである。世論を満足させたいだけならば、刑法に幼い子どもが犠牲になった場合の重罰規定を作ればいいのである。しかし被害者の属性によって罪の

    結局、世論は子供が犠牲になる事件はすべて重く罰して欲しいということ - Munchener Brucke
  • 見えぬ対立軸。ライブドア事件でより明確に! - Munchener Brucke

    未だにウヨクだのサヨクだの、自分の思想の対立するイデオロギーの虚像を描き、批判することに余念のないブロガーが多い。中には対立する思想を唱えている人間が当に存在するのか大いに疑問のある(例えば中韓に媚を売る日人。気で媚を売っている日人なんているの?)ものも多い。 自分の意見を際立たせるために、仮想敵を捏造するレトリックは、学者やマスコミでさえ多用する常套手段である。組織率の低下が著しくその社会的影響力も著しく低下しているのにも関わらず、仮想敵として未だに過大評価されている日教組などはその好例である。 私もネットウヨを批判するエントリーをしばしば書いているのではある*1が、ネットウヨというのは必ずしも一枚岩に存在している訳ではなく、立ち位置は多様である。中には右翼を自称する人のブログを読んで共感してしまうことさえある。 今回のライブドア事件において、多くの人間が既存の右翼−左翼、保守−

    見えぬ対立軸。ライブドア事件でより明確に! - Munchener Brucke
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