昭和45(1970)年頃 江東区豊洲の大気汚染 1960~70年代の日本は、高度成長期の真っ盛りで人々は元気で、みな浮き浮きしているような雰囲気だった。まだまだ日本は成長し、人々の給料も上がると信じていた。実際、企業の競争力はどの業界も強く、先進国のアメリカやヨーロッパ諸国に追いつき貿易黒字が増え続けて、あちこちの国と経済摩擦を引き起こし黒字減らしを要求された。 昭和30年代千代田区日比谷公園前大気汚染 ―昔は汚かった日本― そんな時代の中で日本人も顔をしかめて対策を強く求めていたのが公害問題、環境対策だった。工場地帯では煙突から黒い煙がモクモクと立ち上っていたし、大都会は自動車の排気ガスが充満し、咳き込む人が少なくなかった。マスクをして夜、家に帰ると、マスクが中まで黒ずんでいたものだ。天気の良い晴天の日でも排気ガスやスモッグで空がどんよりしていた。富士山が東京からくっきり見えたのは正月位