〈最初の芸名は「南啓二」(自ら名付けた)。その後「宇留木三平」となり、その後「ムリトウル」(「無理通る」に由来)にしようとしたが「この名前では大物になった時に困るだろう」として、一字変えて「由利徹」とした〉 〈南啓二の芸名で端役で舞台に出始めるが、採用から1年後の1943年に戦争で招集されて陸軍に入隊すると、暗号要員として中国戦線に送られた。空襲により新宿座の劇場は焼失したが、由利は終戦後新宿に戻った後1946年10月から「小議会」と改名した旧ムーランルージュに復帰。再開後の公演では主役級の役が与えられるようになり、その後劇団の青年部筆頭に名を連ねる(芸名を宇留木三平にしたのはこの頃)。 しかし、その後新宿でストリップ劇場が始まるなどして客足が流れたことで、1951年にムーランルージュは解散。由利はこれを機に心機一転を図るため、新東宝文芸部の先輩に「(先述の)ムリトオル」の芸名をつけること
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