2011年3月11日から2年が経過した現在でも、東日本大震災の被害は現在進行形にあり、被災地の多くでは普段の復旧・復興のための努力が続けられています。このような状況の中、私たちは何を考え、何に目を向ける必要があるのでしょうか。 今回、私が書かせていただく内容は、新しい事実や問題を切り口鮮やかに示すものではありません。むしろ、かねてより繰り返し言われ続けてきた事柄を改めて確認する、そういった行為が主なものになります。 しかし、震災発生から2年が経過した今、基本的とも思える事柄を再度確認することには意味があり、また今後を考える上でもやはり必要なのではないでしょうか。しばしの間、お付き合いをいただければ幸いです。 東日本大震災と続く福島第一原子力発電所事故がどのような被害をもたらしてしまったのでしょうか。ここではまず、とりわけ大きな被害と影響を受けてしまった宮城県・岩手県・福島県の状況に絞り、そ
東日本大震災。 東日本全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。 多くの人に助けられ過ごした時間です。この場をお借りして、日本中の人に御礼を述べさせていただきます。 本来であれば、避難所運営の一例として記録と御礼だけに留めるべきことですが、次の万が一の時のために避難所運営の改善点とご支援をいただいた際に気になった点を記させていただきます。 両親と妻と一男二女の7人暮らしをしていました。両親とも同じ米崎町生まれで、昭和35年のチリ地震津波の被害も経験しています。妻は同じ岩手県内でも内陸の一関市生まれなので、結婚するまで津波に対する防災教育を受けずに育ちました。 震災時、子どもは小学校一年の長女と保育園年長組の次女は学校と保育園へ。1歳6ヶ月の長男は自宅で妻と一緒で
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