ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した最初の映画「僕の村は戦場だった」は、ソ連の映画館の朝の部でしか上映されず、児童映画扱いされていた。=写真提供:kinopoisk.ru ソ連の映画監督は、自分の考えを伝えることができていたのだろうか。それともソ連のシステムをただ反映させていただけなのだろうか。過去の例をたどれば、監督と検閲の相互関係を知ることができる。 宗教はタブー アンドレイ・タルコフスキー監督は、ソ連時代に5作品しか製作できなかった。1作品の制作に平均1年かかるとして、タルコフスキー監督は16年間無職だったことになる。ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した最初の映画「僕の村は戦場だった」は、ソ連の映画館の朝の部でしか上映されず、児童映画扱いされていた。この映画が西側で反戦映画と解釈されたことは、ソ連政府を困惑させた。冷戦とキューバ危機の時代、ソ連の外交政策に反した作品であった。 タ
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