タグ

ブックマーク / crow-henmi.hatenadiary.org (2)

  • 「速度」と「本質」——表現がテーマを駆逐する | 2008-09-06 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    読書メーターに登録し、読書量を記録することにした。読書の内実を分量で量るのは頂けないが、読書記録や、それを元にした検索データベースとしては役に立ちそうなので、飽きるまでは使ってみることにする。 ともよちゃんと高橋さんがゲームの倫理について語っていたことで、ふと連想したことなど。 大塚英志の文章を念頭において「なにかをメディアに載せて届けるには速度が必要だ」という話は以前もしたが、速度だけが届いて、それに載せたものは届かないということもままある。「なんかすごいスピードで通り過ぎていったね!」という感じで。それで、スピード自体に感銘を受け、自らもその真似をしてスピードを上げて激突死する奴が増えるというような構造はありそうだと思う。 大塚氏の場合「多重人格探偵サイコ」などがその部類に当るのではないだろうか。あの作品において全体的に表現されているのは、当の意味でのオリジナルや超越性みたいなものに

    「速度」と「本質」——表現がテーマを駆逐する | 2008-09-06 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
    sahiro316
    sahiro316 2008/09/29
    「速度だけが届いて、それに載せたものは届かないということもままある」。あぅあぅ。困難性はいたるところに。<それなにも言ってることにならないから
  • 2008-07-08 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - エロゲにエロは必要なのか問題の正しい問い方

    いわゆる「知の欺瞞」問題は、サルが書きなぐった落書きを現代アートとして価値を認めてしまう批評家の問題と近似する。自分の見解は「作った人間が意味がわからないオブジェクトでも、そこに意味を見出すことができれば見出したものにとっては意味がある」と云う感じで把握している。さらにいえば「オブジェクトの作者が何らかの意図をもって作ったものであったら、観測者と作者の認識の差異が新しい共同主観的平面を作り出すし、そこでいろいろな発展がありうるだろう」と云える。とか、ふと思ったのでメモ。 http://d.hatena.ne.jp/rikio0505/20080708/1215443157 エロゲにおいてエロシーンの必然性が低下しているのではないかという問い、あるいはエロシーンの必然性が低下しているが故にエロは必要ないという言説は、それこそ葉鍵隆盛期のころの古い問題意識で、散々論じられ論議自体が形式化しさら

    2008-07-08 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - エロゲにエロは必要なのか問題の正しい問い方
    sahiro316
    sahiro316 2008/09/02
    「マーケティング論、構造論、形式論、さまざまな形での論理展開と答え。それらはまさに「正しく問う」ことから始まり得られるものだし、正しく問わなければ単に不毛に陥る」。
  • 1