ブックマーク / ae7chu.hatenablog.com (10)

  • まためぐる季節 - たまゆらのなかのとわ

    感染症にかかると発作が出ない と言う法則が無くなってきました 娘がお風邪でズビズビです 上気道炎になるとばい菌を排出しようとする人体機能で 恐ろしい分泌物の量になるのですが 娘の場合それを意識的に更に外へ排出しようとする事ができないので (鼻をかむ・咳で上がってきた痰を吐き出す) なるがままなんです 唯一の頼みは反射作用のクシャミです 一気に溜まってしまった分泌物が排出されます 昨日はズビズビのところに発作が来て 一瞬呼吸困難になり 怖かったです 鼻吸い機は全力で拒否されます・・・ 重度の精神遅滞でも好き嫌いはハッキリしていて こういう時大変です もうじき昔の友の命日です この時期になると昔を想い出します 私は「死」は不幸ではないと書いています それは主観的領域での発言なのですが 去りゆく者への敬意でもあると考えています どの様な死に方であれ 「不幸」のレッテルは貼りたくないし もう会えな

    まためぐる季節 - たまゆらのなかのとわ
  • 青い波 - たまゆらのなかのとわ

    あほんだら いつも楽しみやったのに おらんようになってもうて あほんだら なんやぽつーんて してもうたやろ あほんだら オナラでどこぞに 飛んでもうたんやろか あほんだら

    青い波 - たまゆらのなかのとわ
  • 私の車窓から - たまゆらのなかのとわ

    仏教を突き詰めると「無」になるのではないかと思っています お釈迦様が仏陀に至るには 涅槃の境地に立つことが必要で この世にいる者が 全てその境地に至ると 美しい春の彩を 体を震わせ歓ぶことも無くなるのではないかと思います そうすると この世にいる事に意味を見出せる様な気がします それは特別な事ではないし そこに成功も失敗も 当たり外れも無い様に思います なぜこの世が「無」でなく「在る」のか 「在る」ところに居るのだから ただ在れば良いと思います(そして自分なりの在り様で在る) それは極精神的で物理的な事で 倫理や道徳・法と言った分野は この在る世界を 律する方法であると思います 故にこれらには成功と失敗・当たり外れが存在するのだと思います 私的にはこのどちらをも持ち 生きる事が理想であります それにしても五月の彩とりどりの反射は解りやすく 自分と言う存在を浮き上がらせてくれます きょうの絵

    私の車窓から - たまゆらのなかのとわ
  • 五月 - たまゆらのなかのとわ

    山肌の深緑と新緑に 山桜が淡いピンクを添えておりました 東は明るいのに 反対側はグレイの雲が迫ってきて そのうちに我が家の屋根が パラパラと音を鳴らします 乾いたところに落ちた雨粒の匂いを 風が運び モッコウバラが重そうに揺れています 地面では蛙が鳴きだしました 雨だ雨だと言っている様です きっとどこかで虹が架かっているかな 遠くでは雷が轟いています 忙しないのは人間だけではなさそうだ

    五月 - たまゆらのなかのとわ
  • 失望する時 - たまゆらのなかのとわ

    5.6年前に買った多肉ちゃんが 花をつけました とても清楚な白い花です 私は植え替えもせず お水をあげていただけで 多肉ちゃんは小さな小さな鉢に 巨体をくねらせ 育ってくれておりました 人間の私から見ると なんと健気で まるでそんな私に 花をつけてくれた様に見えます でも その意識には きっと そうあって欲しいと言う 私の望みが反映しているからなのでしょう 多肉ちゃんは ただ 自らの命のベクトルに向かっているだけなのです そんな風に 人はいつも 望みを面舵にして生きて そうあって欲しいという自らの希望を 人に 何かに 無言のうちに 押し付けているのかも知れません 私の場合 失望は映像が幻であったと気づく様に 触れようとしても 触れられない でも目の前に見えている・・・ そういうものであります それは極々 日常のことです 同時に そうであるが故 私の心は静かでいられるとも思えます 失望は決し

    失望する時 - たまゆらのなかのとわ
  • 金曜です - たまゆらのなかのとわ

  • モッコウバラ - たまゆらのなかのとわ

    今年もモッコウバラが咲きだした 我が庭のバラはこの世話いらずの「モッコちゃん」と 小さく仕立てる「小さいバラさん達」(商品名ミニバラ) たいそうな名前はないバラさん 特別なセレブリティによる薔薇に込められたエピソードもない だけども この世界のどこかで 野に咲く花同等に 誰かの人生の中に そっと咲き続ける そんな空想をさせてくれる 最近ではセレブリティ(以下セレブ)と言う言葉が 質から逸脱して乱用されている セレブがそこら中にいたら それはもうセレブではない 一時期の「カリスマ」と言う言葉も同様に流行ったが 以降 質から離れ使用され チープな響きを刹那に放ち 言葉の輝きは失せた いわゆる「ブランドもの」に至っても 今や質屋にまで人が群がる始末 伝統あるブランドを身に付ければ 自分も一流になれた気がする錯覚 お金で買える「一流」物に囲まれ心を満たす いや 当は欲を満たしているに過ぎない

    モッコウバラ - たまゆらのなかのとわ
  • つぶやき - たまゆらのなかのとわ

    誰もが自分の人生で精一杯 何を求め どうなりたい その為に何を得る 得る 得る 得る その事ばかりに一生懸命だ 命がある その事だけでは 誰も満足しない様だ 生きよう 純粋に一緒に生きよう ただそれだけでは 人生とは言わないのか 何かを得る為に生まれたのか それはお金か それとも高尚な精神か それは名誉か それともブランドか 称号を得たら その存在は他のどの命よりも上なのか 上下なのか 優劣なのか でも 私が求めるのは そのどれでもない ただ共に生きたい それだけではだめなのか 在るがままを受け入れ 生きることはいけないのか 生きているだけでは 不満なのか 誰もが求める事に夢中で 与えようとしない 与えるポーズの裏で 我欲が透ける御利益信仰が まるで美しく飾り立てられている

    つぶやき - たまゆらのなかのとわ
  • こころたび - たまゆらのなかのとわ

    声が楽器だと感じる この曲が好きです 私は歌詞の重みよりも 音楽が持つ魔法(その場所が違って見える またはその音から風情を感じさせるもの)が好きです なので歌詞がストレートに入って来るものや 説明し過ぎる歌詞や情念煮えたぎる歌詞が苦手です なので歌で聴くものは洋楽が多いのですが それは英語が だいたい聞き取れるくらいだからなのと 多様に日語として受け捉える事が可能だからです で この曲なのですが 歌詞 ストレートじゃん てな事になると思いますが この方の声が楽器なんですね その楽器が言葉を鳴らす そんな順番で私の中に入って来ます ご存じの方も多いと思います NHKの番組の挿入歌であります この透明感のある曲とは裏腹に 火野正平さんの下品ながらも温かい人柄が 番組を無二のものにしていると感じます ナポリタンをすすって蒸せる芸が見どころです(^^) NHK悪評ですが NHKの下々の者は良い番

    こころたび - たまゆらのなかのとわ
  • 真実 - たまゆらのなかのとわ

    真実は見えない 真実は聴こえない 真実は静かに 真実は眠っている 真実は厳重に 真実は密封され 真実は幾年も 真実は葬られ 真実は人々の 真実は無言の中 真実は無音の中 真実は自らの 真実は心と頭で 真実は感じ 真実は耐え忍び 真実はその愛の下 真実はある日 真実は真実になる ☆

    真実 - たまゆらのなかのとわ
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