ブックマーク / shirooo305.hatenablog.com (5)

  • テレビアニメED10選 2018 - Paradism

    前回の記事同様、放映季順、他順不同、他意はありません。敬称略含む。視聴した作品からのみの選出で、選出基準はいつもと同様 「とにかく好きなED」 です。 ヴァイオレット・エヴァーガーデン / みちしるべ 流れる月日も意に介さず、同じ場所に留まり続けた少女ヴァイオレット・エヴァーガーデン。これはそんな彼女が再び歩き始めることを描いたエンディングフィルムであり、その内側に籠る想いにそっと寄り添わすための手紙のようなものだったのでしょう。一歩一歩踏み締める姿と、握るという芝居づけ。少佐と立ち並んでいた彼女が、ただ一人自分と向き合うように佇むことの意味。茅原さんの優しい歌声も相まり、まるで世界全体が彼女を包み込んでいるような印象も受ける映像です。寡黙であり、雄弁なフィルム。想いを馳せる、という言葉がとても似合います。 ゆるキャン△ / ふゆびより 主題歌の『ふゆびより』は今年長らく聴き続けたアニソン

    テレビアニメED10選 2018 - Paradism
  • テレビアニメOP10選 2018 - Paradism

    今年もこの企画に参加させて頂きます。放映季順、他順不同、他意はありません。敬称略含む。視聴した作品からのみの選出で、選出基準はいつもと同様 「とにかく好きなOP」 です。 宇宙よりも遠い場所 / The Girls Are Alright! 回転し、動き出すフレームを物語の幕開けに据えた作の根幹とも言える映像。散りばめられた兆しと少女たちの笑顔が弾けるよう描かれていく流れには、つい頬が綻んでしまいます。撮影も相まったエモーショナルな絵も多い一方で、自撮り風な女子高生らしさも顔を覗かせるのがポイント。感傷と友情の欠片を丁寧に、劇的に織り込んだまさに作品の代名詞足るフィルムになっていたと思います。 恋は雨上がりのように / ノスタルジックレインフォール タイトルバックの波紋に始まり、雨上がりのコンセプトで構成されていたであろう映像美。淡い色調にビビットな色味が重なりとても可愛らしい画面になっ

    テレビアニメOP10選 2018 - Paradism
  • 『SSSS.GRIDMAN』9話の演出について - Paradism

    不穏な空気を感じさせる警報音。多くの意味合いを含んでいたであろう信号と踏切。それは音響の側面とセルによって描かれた数多くのプロップ・情報量から世界観を描き続けてきた作の徹底したスタンスの延長でありながら、新しい予感を生み落とすモチーフとしても強く存在感を示していました。 怪獣、踏切、モブと奥から描かれたレイアウトもおそらくは同様で、遮断機と踏切が両者を “分け隔てる” という関係性は現実とは違う舞台を描いた話において大きな役割を果たしていたはずです。以降、幾度となくカットバックされた信号機のカットもそんな冒頭で描かれた物語の大枠を意識させるためのものであり、夢に揺蕩 (たゆた) い続ける話に対し違和感を差し込む役目も果たしていたのでしょう。それがさらなる緊張感を演出していたのは言うまでもなく、フィルム全体に異様な質感を与えていました。 また、分け隔てるという意味においてはこういったカッ

    『SSSS.GRIDMAN』9話の演出について - Paradism
  • 『SSSS.GRIDMAN』2話の宝多六花に寄る演出について - Paradism

    グリッドマン同盟なるものの発足の傍らで々とした表情を見せる少女、宝多六花。一話における戦闘の影響でクラスメイトが居なかったものとされてしまったことへのショックは隠し切れるものではなく、その心情を汲み取るレイアウト、陰影、距離感が非常にうまく表現されていました。視線誘導的な意味でも、明暗としても、心情的なテンションの差がとても明確に描かれています。もちろん裕太たちにとってもショッキングな出来事であったことには替わりないのでしょうが、おそらくは六花の方がよりその現実を自身が直面している体験として受け止めることが出来ていたのだと思います。 「もし同じ様にまた友達が死んでいたことにされてしまったら」「この世界から消えてしまったら」。ビール函越しのショットはテクニカルでありながらそんな彼女の仄暗い心情をより映していましたし、距離感をつけた切り返しのカメラワークもそういった想いを静かに映し出してくれ

    『SSSS.GRIDMAN』2話の宝多六花に寄る演出について - Paradism
  • 『22/7 「あの日の彼女たち」』の演出について - Paradism

    光、音、レイアウト、芝居、台詞、時間。その枝葉まで如何なくコントロールされた繊細なアニメーションに衝撃を受けた『あの日の彼女たち』。二分にも満たない短編で描かれた作は少女たちの感情を寡黙に語らない一方で、映像の側面から各々の内面・関係性を描き、そっと彼女たちに寄り添っていた印象を受けました。 中でも光による画面コントロールは印象的に使われていたことが多く、特に滝川みう編から斎藤二コル編*1へと繋ぎ描かれたアンサーフィルムとも取れる相互の映像は非常に雄弁でした。レイアウトと影づけによる境界、撮影によってより誇張されるビジュアルの変化は何を語らずとも少女たちの輝きをそこに映し出しているようで唸らされます。二コルから見たみうの輝きと、そんな輝きを追い掛けんとする二コルが持つ別の輝き。世界が少女たちを祝福するかのような光は、まるでこの作品における彼女たちの可能性を描き出していたようにも感じられま

    『22/7 「あの日の彼女たち」』の演出について - Paradism
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