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デイリーポータルZと歴史に関するsammyaddのブックマーク (3)

  • 114年前のガイドブックを使って伊豆の伊東を観光すると楽しい

    文化や街歩きが好きな会社員。昔からあるものと新しい技術が好き。誰も気づいていないことを見つけると燃える。好きなべ物は天下一品。 前の記事:阿佐谷の塀に描かれた絵の進化を見守る > 個人サイト 足跡を辿る 114年前に書かれた ある日、『伊豆新誌』というを見つけた。 なんと無料で読める。ありがとうインターネッツ。(国会図書館デジタルコレクション) 発行は明治41年(1908年)。114年前か。夏目漱石の小説が話題をかっさらい、日清・日露戦争を経て日の軍隊が強化されていった時期だ。 めくっていると、伊東のページで目が止まった。 「最もよい」とはすごい自信だ。生きていてここまで強く言い切ることってなかなかないんじゃないか。 さらに『伊豆新誌』を読み進む。次々出てくる知らない名所たち。しかも「オススメ10選!」みたいな観光サイトにのってない場所ばかりだ。足がうずうずしてきた。 よし、伊東に

    114年前のガイドブックを使って伊豆の伊東を観光すると楽しい
  • 伊左衛門に平八に勘助…歴史に名を刻んだ男たちの田んぼを見に行く

    ある日、高速道路を車で走っていたときのことだ。 圏央道は一面の田んぼの上を、マリオカートのレインボーロードのように華麗に縦断する。ナビに現在地が表示された。「伊左衛門新田町」 …伊左衛門!!なんともまあ古風な地名だ。でもそれだけではなかった。 「平八新田町」そして「勘助新田町」ときたのだ。 伊左衛門に平八に勘助、脳内で男三人衆がねじり鉢巻をつけてチャンコポンカ踊りはじめる。 自分の名前が地名になったらもう言うことはないだろう 名前の一部とか、名字ならまだしも、伊左衛門に平八に勘助って!!こんなに名前まんまの地名、ありなんだ、めちゃめちゃいいな!!と心が燃え上がり、思わずアクセルを強く踏んだ。 だってさ、こんなの、全人類が一度は思う夢だろう ※フィクションです そりゃね、銅像とか、でかい墓もうれしいでしょうよ、 ※フィクションです でも自分の名前が地名となったらもう、それは言うことなしだ。数

    伊左衛門に平八に勘助…歴史に名を刻んだ男たちの田んぼを見に行く
  • 多摩ニュータウンの200年を歩く

    多摩ニュータウンができて50年以上。総面積約3000ha、計画人口34万人という日最大のニュータウン計画だったがゆえに、「第四の山の手」から「陸の孤島」「オールドタウン」まで、よくも悪くも世間の注目を浴び続けてきた街だ。 現代の東京に住んでいると当たり前の存在になっているが、「巨大な実験都市」とも言われるように、実は日史上でも二度とあらわれない、貴重な場所なのかもしれない。 建造物は50年たつと文化財の仲間入りできるというけれど、一方で多摩ニュータウンは生きた街である。東京都は2040年代を見据えた都市計画を立てているらしい。 多摩ニュータウンの過去から未来へ。 これを機に、ニュータウン以前の多摩丘陵の面影、多摩ニュータウン黎明期、バブル~平成の多摩ニュータウン、そして未来の多摩ニュータウンについて…四世代にわけて、実際に歩いてみたい。 多摩ニュータウンのなにがすごいのか 1971年、

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