「遊びの効用」をテーマに4回シリーズで酒井先生に執筆いただきます。今回はその3回目です。 大学は航空学科を出たというのに、一年足らずで日本は完敗した。その結果航空学科は廃止され、日本中の航空機工業も禁止された。これが敗戦国の現実である。何よりの緊急課題は、一億国民の食糧確保である。しかし狭い国土で農地に限りがあるとなれば、唯一の頼りは貿易振興であると考えられた。 新生日本の進むべき道として私たちの選んだのは、欧州の小国ながら、精密工業により平和と繁栄を楽しんでいるスイスを模範とすることであった。 戦時中、航空計器を少しばかり勉強したということもあり、時計の精密大量生産法の研究委員会に加わることにいささかの抵抗もなかった。 メンバーの大半は大学関係者であった。そして時計など学んだことのない人が多かった。委員会がスタートして間もないころ、時計会社の技師から時計の概論について聞くチャンスがあった