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ブックマーク / note.com/segawashin (2)

  • 愛知トリエンナーレと「表現の不自由展」に行ってきた|瀬川深 segawashin

    愛知トリエンナーレ内の展示企画「表現の不自由展」に行ってきた。 当初この企画のことを知ったとき、「これは大変なバッシングに晒されるだろうな」と思ったものだが、事実その通りになった。「早晩中止になるかも知れないから見に行くなら今だ」と思い定め、無理矢理予定を半日空けて名古屋まで出向いたが、その夜、脅迫に晒されてこの展示の中止が決まったことを知って予感は的中した。 なんというか、膝から崩れるような落胆を感じはしたが、驚きはなかったし、奇妙なことに憤る感情もなかった。それは、この炎天下に何日も放置していた鍋を空けてみたら予想通りにドロドロに腐りきっていてもはや手の付けようもなかったのと同じようなもので、予想通りと言うよりは予定通り、この日社会がもう取り返しが付かないぐらいにダメになってしまっていることを知らされたというよりも再確認させられただけのことだからなのだろう。 ともあれ、落胆を通り過ぎ

    愛知トリエンナーレと「表現の不自由展」に行ってきた|瀬川深 segawashin
    sand_land
    sand_land 2019/08/08
  • その表現は誰かに労力をアウトソーシングしていないだろうか?|瀬川深 segawashin

    幼児向けの乗り物の絵に20ページ中6ページにわたって自衛隊の車両が掲載されていることが問題視され、当該書籍の増刷が中止されるという事件があった。 https://this.kiji.is/526697181804217441 そもそもの前提として出版社にはこういった書籍を出版する自由があり、消費者には抗議する自由がある。結果として増刷の中止という判断を出版社側が下すのもまた自由……というかこれは経営の裁量の範囲であろうから、実のところ、この件について特に付け加えることはない。じっさいこれに類する事件はこれまでに何度も繰り返されてきたし、それへの反応もおおむね既視感のあるものだ。 にもかかわらず、件ならびに類似する事件においてはいつもあまり語られることのない論点があると感じていたので、これを機にきちんと思うところをまとめてみる。なによりこれは、表現することについて考える上で典型的な問題で

    その表現は誰かに労力をアウトソーシングしていないだろうか?|瀬川深 segawashin
    sand_land
    sand_land 2019/07/27
    あらゆる物を野放図に与える=自由では無い。子供には年齢に応じた発達段階がある。性表現もだが、何かと全部親が教育すれば大丈夫と言う人は自分が楽しむだけのコストを誰かに丸投げしてる。
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