代用品としてめんつゆの需要が一気に増え、めんつゆ会社が喜ぶ
なにかの要望を受けてコードを書くとき、仕様を明確にするために極端な例や、反例を挙げて境界を確認するのはよくあると思うけれど、下手すると、文化に不馴れな人からは極端な考えを持っているとか消極的だと思われるし、Twitterでやると反例指摘クソリプ野郎になってしまう。— だーい(*Д*) (@daaaaaai) 2019年3月13日 ソフトウェア開発では仕様を明確にするために極端な例を考えることが役立つ場合がある。 例えば、自動販売機をつくることになったとき、お金を入れることができる、という要求だけでは仕様をつくるに不十分で、いくらまで、あるいは硬貨何枚まで入れられることができるか考える必要がある。このとき、硬貨100枚は入れられないですよね、と問うことで、どこかに境界があるはず、と考えてみたり、記念硬貨は使えないですよね、どこまで使えるようにしますか。と考えることで2000円札を使うかどうか
「無いのが不思議だから書いてみた」と思ったことを形にする姿勢はいい。そこは評価ポイント。 小説を読んでみたが、面白そうになりそうな話題を膨らませずに、余計な部分ばかり多い。 宇宙の知識を仕入れたければ、こんな小説読まずにニュートンを読む。如何にも「僕は宇宙について知ってます」という説明はいらない。 設定の陳列も、設定が余り面白くないため、鬱陶しくなっている。 設定を開示する場合、何か目的が必要。設定自体が面白いと思うから書くのか、それとも、今後起きる出来事を理解させるためなのか。そこが不明瞭な印象を受ける。 単純に「こういう設定を考えたから、書いてみました」以上になっていない。 個々の話も、膨らませれば面白くなる部分が多々あるが、そこを軽く流してしまっている。めちゃくちゃもったいない。オバケが出るレベル。 例えば、第二話のラジオの話なんか、めちゃくちゃ話を膨らめられる部分。めちゃくちゃもっ
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