「開高健 夢駆ける草原」 高橋昇著 開高健がモンゴルで(幻の魚といわれる)イトウ釣りに挑戦した折、カメラマンとして同行した著者が、開高とモンゴルの魅力を写真と文で紹介。 なかなか釣果が得られずスタッフ総悲観となるが、1か月ほどの日程最終日の最後の最後にイトウを釣り上げる快挙。流石文豪は持ってらっしゃる。文豪の名言「悠々として急げ」を思い起こす。 豪放磊落な文豪の姿を笑い、茫々漠々なモンゴルの大地に憧れる。カメラマン高橋昇も魅力満載な方と知る。 モンゴルか。いいなあ…。Such Is Life.
白洲次郎100の言葉 宝島社 あまり知られていないことだが(知られる由もないのだが)、僕は白洲次郎が好きだった。一時は次郎に関する本を数冊まとめて読破するほどの熱狂振りでもあった。 ただある時に別の尊敬する御仁の「白洲次郎は戦時中、軍隊への服役を免れるように工作したから好きにはなれない」という言葉に触れ、やたらとあちこちから感化され易い僕は次郎のことを忘れかけていたのである。 先日訪れた書店で、何の気なしに「白洲次郎」の文字が目に入ってきたので、久方振りに手に取ってみた。 白洲次郎 1902-1985年 芦屋の商家に生まれ中学卒業後に英国ケンブリッジ大学に留学。昭和金融恐慌で実家が倒産し帰国。その後会社勤めなどを経てイギリス大使であった吉田茂と面識を持つ。 世界大戦後、連合国占領下の日本で吉田茂首相の側近としてGHQ等との交渉に当たる。敗戦国でありながらも日本国の主権と日本人の尊厳を守るた
羽田からドーハを経由して合計20時間以上を機上で過ごすこととなった。やっとの思いで降り立ったのは北アフリカの大地モロッコである。取材のためとはいえタフな移動であった。車窓から目に飛び込んでくる風景は、かつて筆者が体験してきた他の地域とは異なる強烈なインプレッションだ。しかも短時間では咀嚼できないほどの雰囲気を持っている。しかし、やがてその風景はそれまでの移動の苦労をも忘れさせてくれる特別な存在へと昇華した。 未だ暗闇の中にある早朝、静寂を切り裂くかのような放送がモスクのスピーカーから流れる。「アッラーは偉大なり」から始まるこの放送を筆者はコーランの朗誦と思い込んでいたのだが、実はアザーンと呼ばれるイスラム教における礼拝への呼びかけであった。1日5回の礼拝前に流れる独特のイントネーションを持つ肉声の放送を耳にする度に、ここが異教の地でありイスラムの国であることを脳裏に刻み込まれる。異教徒であ
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