【「で、みちアキはどうするの?」 - なぜ人を殺してはいけないのか】とか【煩悩是道場 - 何故人を殺してはならないか、への答えらしきもの】とかより。 注意 ごめんなさい、だいぶ過激です。心臓の弱い方、精神的な病をお持ちの方などは以降お読みにならないようお願いします。 存在証明が揺らぐ 「なぜ人を殺してはいけないのか」を考えていると、「なぜ生きているのか」「なぜ今すぐ死なないのか」「なぜ殺すのか」といった問いもなぜか自然に湧き上がってくるわけで、これを突き詰めていくと、「なぜ自分は存在しているのか」ということにまでたどり着いてしまう。すると当然、自分の存在証明は急に揺らぎだして、不安定になる。怖くなる。そういう時僕は、在るからには仕方ない、と開き直ることでなんとか踏みとどまるわけだけど、揺らぐ存在証明に興味がないわけじゃなくて、むしろ興味津々であり、また確固たる存在証明を持たねばならないかの