「もちろん宅急便の運賃表は変えません。 しかしそのお金はまぎれもなく、 全国のみなさんの力で生まれるお金です。」 というくだりは、最初の原稿になかったんです。 値上げをするんじゃないんです、 ということを主張したかったんです。
大会2日目、鶴沼球場、第2試合。 相双連合対喜多方高校の試合を観るため、 ぼくは会津若松駅で降りた。 鶴沼球場にどう行けばいいのかは 例によって行き当たりばったりである。 しかし、行き当たりばったりにもだいぶ慣れてきた。 鶴沼球場の最寄り駅は只見線の会津坂下駅。 しかし、最寄り駅にこだわると、 最後の数キロのところで ちょうどいい交通手段がなくなったりする。 なので、会津地方の交通起点になってると 予想される会津若松駅でまずは降り、 そこからバスがあるのかタクシーを使ったほうがいいのか 只見線に乗り換えたほうがいいのかを、 ぶっちゃけ駅の人に訊くのである。 すいません、鶴沼球場に行きたいんですが、と。 車がつかえたらそれがいちばんいんですけどね。 駅の案内所に入ってみると すでにルートを相談している初老の人がいて、 会話を漏れ聞くに、どうやらぼくと目的地は同じようだ。 「や、2時までに着き
いえ、ぼくが初めて被災地に入ったのは、 3月31日なんです。 「明日、ガソリンが実家に入るぞ」って 聞いたときなんですけど、 つまり、動きはじめも、そこからで。
<怖いものの順番。> ぼくは怖がりです。 おそらく、他の人と同じくらいではあると思いますが、 強い人間ではないのは、 じぶんがいちばんよく知ってますし、 怖いことや怖いものに近づくのも苦手です。 もうひとつ、ぼくは好奇心の強い人間です。 怖いはなしや、怖い映画、怖い遊び、 ことによったら怖い人についてさえ、 「怖いけど、知ってみたい」と思うところがあります。 格闘技が好きだったりするのも、 そういうところと関係あるのかもしれません。 だから、じぶんが安全な場所にいるとわかれば、 目玉や耳だけは、怖いもののほうを向いたりします。 そういうぼくですから、いまのような状況は、 ものすごく怖いです。 ここまでが長い悪夢であったらどんなにいいか、 目が覚めたら、おなじみの日常がそこにあったら、 どれだけうれしいか‥‥。 そういうぼくですが、 「怖い」気持ちと「好奇心」は、 どんなにがんばってもなくせ
このことを知って本当に驚いたんですが、 琢磨さんが レーシングドライバーの世界へ飛び込んだのは 20歳を過ぎてからなんですよね。
ある年齢をこえた人との間では、 なかなか「死」だとか、「葬儀」だとか、 「墓」だとかの話題はタブーになります。 いわゆる「縁起でもない」というわけですが、 吉本さんとは、ずいぶんたくさん、 そういう会話をしてきた気がします。 遠慮したり、失礼と思ったりすることなく、 そういう内容の話ができてきたというのは、 ひとえに、吉本さんの態度が、 揺るぎなかったからだと思います。 「あるものは、そこにある」という具合に、 誰にも当たり前のこととして、 「死」の周辺のことを語ってきた。 じぶんが若かろうが、老いていようが、 「死」は「死」として同じように語るし、考える。 こういうところも、 まねしたいものだなぁと思ってきました。 ただ、やはり、目がますます不自由になってきて、 歩くのも困難になって、 ふつうに日常を送ることだけでも、 なかなか大変になってきているんだろうなぁ、 というような状況を目のあ
さて、この小さな連載の最終回です。 前回は、聖書の奇跡の話は比喩であり、 言葉の発生順でいえば 直喩の前に暗喩があったということを お伝えしました。 そして、さらに、暗喩の前には 虚喩という概念があったと 吉本さんは付け加えています。 ちょっとむずかしく聞こえるかもしれないけど、 ぜひ、ついてきてくださいね。 吉本さんのおっしゃっている虚喩は、 「たとえになる前の状態」を指すのだと思います。 ですから、それは、 ほんとうは名づけようのないものです。 あきらかに何か、 感情や心や経験や概念のもとがあるのに 何にも比喩されていない状態です。 黒澤明さんの映画『七人の侍』で、 長老が「やるべし」と言う 決断のシーンがあるでしょう。 あの人の「やるべし」というひと言には、 いろんな虚喩が入っています。 喩の根っこにドーンとしたものがあるのがわかるから、 村人が立ち上がり、 あの映画のお話が成り立つ
編集作業が軌道に乗ったかな‥‥というところで 年が明けました。 本来ならすでに校正時期のはずが、 入稿をそれぞれが引っ張っていました。 とにかく、スケジュールがきつかったです。 だけど、リーダーである総研さんが なぜか自信満々なんですよ。 大丈夫、大丈夫、って言うから 大丈夫なのかな、と思ってたら 実は大丈夫じゃなかったです。 だって、次の号とおなじタイミングで レイアウトが回ってましたから。 それぞれの粘りが効いて、 どんな仕上がりになったのか‥‥は、 本屋さんで手に取るまでの おたのしみでございます。 (この記事を書いている時点では、 我々も、まだ校正刷りしか見ておらず、 綴じられたものは手にしていません) ただひとつ、実感として思ったのは もし我々ほぼ日だけで 吉本さんの雑誌を作ったら ぜったいにこうはならないということです。 この正体は何なんだろうと、 編集中、総研さんとも 幾度と
吉本さんのところには、 実に個人的な質問を抱えて おじゃますることがあります。 この日は、翌日に、ぼくが、 ある映画である役を演じることになっていまして。 できないのは目に見えているんだから ていねいにお断りすればいいものを、 「やってみたい」という気持ちが強いものだから、 ついつい引き受けちゃうんですよね。 いままで、何度となく「演技」をする機会があって、 それはことごとく失敗してきているんです。 「でも、なんか、なんかわかればできるんじゃないか」 そういう野望が、どうしても消せないのです。 で、吉本さんにこのことを、 まるごと訊ねてみたいなぁと思ったんですよね。 どんな答えでも、よく聴いてみたかった。 で、とてもいい話がうかがえたのですが、 それを心にとめて、撮影現場に行ったぼくは、 結論として、やっぱりうまく行きませんでした‥‥。
2009年10月14日、愛媛県・松山市。 南国はまだまだ「初秋」といった風情。 やや遅い便で東京を発ったわれわれは、 午後6時くらいに、トークショーの会場である 「キャメリアホール」に到着しました。 開演時間を1時間後に控え、入り口にはすでにお客さまの行列が じつは、行きの飛行機内で 偶然にも「となりどうし」の席となり、 楽屋では 早くもリラックスムードの松家さんと糸井。 伊丹プロダクション社長の玉置泰さんを交え、 すでに、かるい「伊丹トーク」に入っています。 さて、トークショーの会場をご紹介しましょう。 こちらがキャメリアホール。ひろくて、きれい! ホームページでしらべてみると この12月から来年の1月にかけては 斉藤和義さんのライブ、 松山大学吹奏楽部のコンサート、 愛媛のふるさとCM大賞、 立川談春さんのスペシャル独演会‥‥などが めじろ押しの、そういった会場のよう。 松山市の文化発
有吉さんが番組で ふたたび自分が売れはじめたことを 分析していた場面を観たんですが、 そのとき、有吉さんは 「バカな人たちが気づきだしたんですよ」って 言ったんです。 それを観て、ぼくは、 この人はすごいとこに来ちゃったな、 と思いました。 つまり、どこかでまず 有吉さんのおもしろさに気づく人たちがいて、 そのあとに気づくぼんやりした人たちがいて‥‥ という状況になった。 そのことに、自分で気づかれたんです。 そのときには、もう 有吉さんは、戻れなくなっちゃったんですよ。
昨日につづき、 岩手県(イーハトーブ)・花巻市で 宮沢賢治賞を受賞された 吉本隆明さんのことをお伝えします。 今日は、ちょっと長めですが、 吉本さんの授賞記念講演の内容を、おもに まとめてお届けします。 青春時代の夢。 昨日の記事でお伝えしたとおり、 冒頭3べん頭を下げて、 吉本さんはこう話しはじめました。 「ぼくの好きな宮沢さんの『雨ニモマケズ』という詩が、 学校の天井に貼ってありました。 ぼくはいつでもその下で、それを眺めていました。 これはどういう人で、どういうことを考えていたか、 ということを、毎日のように思っていました。 俺もこの人とおなじような人になれるんじゃないか、 ということが、 ぼくの青春時代の夢でもありました。 この夢を、自分なりにたどって、 そして自分なりの勉強も含めて いままでやってまいりましたけれど、 いやぁ、とんでもない人だ、 宮沢賢治って人は、とんでもない人で
暇になるのが怖くてしょうがないんだ。 オレは、バードウォッチングに行くのは、 まだちょっと無理なんだ。 「ほぼ日」をやっている糸井さんって、 歳とったと思えないから、正直言って オレはちょっとつらいんですよ。 オレだって、 「あーあ」とか、家で言ってみたい。 「もうオレもなぁ」なんて言ってると、 糸井さんはいろんなとこに出てるし、やってるし、 もう何にも言えなくなっちゃう。 だらけられないですよ。
7月7日壁画『明日の神話』除幕の日、 中沢新一さんによる『明日の神話』解説を ストリーミング中継で配信しました。 岡本太郎さんの思考のそばまで行けるような すばらしいお話でした。 中継終了後、「ぜひ再放送を!」という声を たくさんいただきましたので、 全10回の連載で、動画でお届けいたします。 壁画『明日の神話』の公開は、 2006年8月31日19:00までです。 中沢新一さんの『明日の神話』解説、 今日で最終回です。 私たちは、神話をよみがえらせることが できるのでしょうか。 最後の解説は、4分16秒です。
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 吉本隆明リナックス化計画(後編) 2008-07-14 前々回の<耳からの理解。耳のたのしみ>、 そして前回<吉本隆明リナックス化計画(前編)>の続きです。 さて、「高いといっても安い」と言われたい講演集 『吉本隆明 五十度の講演』はつくれることになった。 しかし、問題は山積していた。 いや、暗くつらく考えていたというわけではないけれど、 考えなくてはならない問題は、いくらでもあるに決まってる。 だいたい、講演の音源が商品になって、 商業的に成功した例というものが、ないらしいのだ。 むろん、こういう企画は、商業的な成功よりも 文化的な意義というところにテーマがいってしまうので、 売れなかったから失敗とは言われないことが多い。 しかし、実際のと
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 「私」を組み込んだ考え。 2009-04-13 「私」というものを、 まったく別の場所に置いたままでも、 ものごとを考えることはできる。 この世界的な不況はどういう理由で、 どうなっていくのかについてだって、 日本という国とある国との関係をどう考えるかだって、 文明の進歩とその行き詰まりについてだって、 知的所有権のこれからについてだって、 若者の結婚離れについてだって、 じぶんのことと関係なく、いくらでも語れそうだ。 世の中のたいていの問題は、 ひょっとしたら考えなくても済むことばかりだ。 でも、いざ考えることになったら、 どこかに「私」というものが関わることになる。 ちょっとでも「私」と、その問題の関わりが でてくるはずなのだと思う。 ど
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