人間の性根の部分を一概に善か悪かで判断するのもどうかと思うのですが、個人的には性悪説からアプローチした方が、人間関係が円滑に進むと思っています。 「性悪説」と「性善説」の定義については、ここでは簡便に「人間の本性を悪と考えること:性悪説」、「人間の本性を善と考えること:性善説」とします。 1.人間の本性を「悪」と捉えた方が裏切られた時のダメージが少ない 2.人間の本性が「悪」だと思えば多少の悪事は看過できる 3.イメージは大事だけれどもそのイメージを維持し続けるのは大変なこと 4.「性悪説」だからこそ、その人の良さが見えてくる 5.結論 1.人間の本性を「悪」と捉えた方が裏切られた時のダメージが少ない 「性善説」であろうが「性悪説」であろうが人間は過ちを犯すものです。しかし、人間が本質的に「善」であるという前提に立つと、何度も同じ過ちを繰り返す人々に対して、「人間の本性は善であるはずなのだ
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