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2007年7月18日のブックマーク (4件)

  • 子供の国の不純な医学 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 口頭弁論。遺族の方々は「命を助けようとする必死さが伝わってこなかった」と訴えた。 大切なのは科学じゃなくて、家族や世論がどう思うのか。そんな時代の生き残りかた。 患者は治癒でなく、感情を買いに来る。問題は生死などではなく、物語の一貫性 「後ろ向きに前進」は「後退」ではない。医療の主人公が「事実」から「物語」に変わった時代 に求められることは、患者の物語を壊さない工夫 「とりあえず様子を見る」は最悪の手段かもしれない。わざわざ病院に足を運んだ 立場からすれば、それは「無駄足を踏んだ」物語を転がしてしまう 様子を見た先に何があるのか、 それが説明できないならば、少なくとも様子を見ることしかできない医師の無能を相手に詫びるべき 患者は平等でない。価

  • 田中未知「寺山修司と生きて」(新書館)を読んで - mmpoloの日記

    田中未知「寺山修司と生きて」(新書館)を読んだ。数多ある寺山修司論の中でもこれは白眉だ。私は数冊の寺山修司論を読んでいるに過ぎないが、仮にこれ1冊しか読んでなくてもそのことは断言できる。 著者の田中未知は20歳のとき寺山に会った。その時寺山は30歳だった。田中は結成したばかりの天井桟敷に入団し、すぐ寺山の秘書になった。その頃寺山は結婚相手の九条映子と別居していた。田中は秘書から寺山の身の回りのこと、劇団の運営、劇団の照明係、寺山の同居人と丸ごと寺山に関わった生き方をした。寺山が亡くなるまで16年半も。寺山修司の一番身近な人だった。 書は6つの章から構成され、第1章「他者を映し出す鏡」、第2章「天井桟敷の現場から」、第3章「母地獄」、第4章「病気を生きる」、第5章「最後の映画撮影」、第6章「寺山修司の死」となっている。 第1章は寺山の俳句や短歌が剽窃だと言われていることへの反論だ。 私は最

    田中未知「寺山修司と生きて」(新書館)を読んで - mmpoloの日記
  • 北村 想 の ポピュリズム: そうはいかない、ぞと。(4)

  • 意味不明な人々-発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む Doctors Blog 医師が発信するブログサイト

    私自身ADHDとして、ADHDやAS(アスペルガー症候群)、人格障害の人たちとお付き合いして分かったことを書いていってみようと思います。音で書きますので、発達障害にあまりに理解の無い無責任なコメントには返答はしませんので、ご理解ください。 ASの「内と外」の行動の違いについて私は以下のように考えている。 もともとASの人にはオオカミ的な「仲間はすべて理解しあい、その他は敵」というような人間関係の極端な愛着のパターンがあり、文字通り、「愛着の対象は自分のことをすべて理解してくれるのが当たり前で、また相手のことはすべて理解したい」、逆に愛着の対象のほかの人には「大事なことを知られてもいけない」ということになる。  「外」はその愛着以外の相手に対するパターンで、自分の性を出さずに表面的に合わせている世間的な行動だ。自閉的なこだわりを除けば、表面上は多数派とほとんど変わらない行動ができる。ただ