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keya1984に関するsatomiesのブックマーク (6)

  • 極限ボートの現実主義 - Backlash to 1984

    2007-04-12 私ならまず、この病人を海に落とすことに反対し、同乗者の説得を試みます。理由は、この状況でより生存率を下げるのは病気ではなく恐慌だからです。別稿の「平等とは」という観点からではなく、「この状況で少しでも自分の生存率を下げないなら」という観点から考えました。 1.感染と発症は別物です。 2.感染力と致死率も別物です。 3.潜伏期間の長短によって異なります。 この人の病気が「感染力が極めて高く空気感染がほとんどであり」「潜伏期間が短く」「感染すれば必ず発症し」「発症すれば自然治癒は望めず致死率も極めて高い」というものであってはじめて、この「極限ボート」問答は成り立つわけです。たとえば、「空気感染はしない」のであれば、水の回し飲みをしないなど、血液や体液などの接触感染に気をつければいいわけです。 ところがもし、感染力が強く空気感染するほどの病気であり、かつ素人が見てもそれとわ

    極限ボートの現実主義 - Backlash to 1984
  • 差蔑ではない差別(その2) - Backlash to 1984

    「差別」の語には「ある人がある人たちに偏見をもって蔑むこと」と「あるひとたちが世の中の仕組みの中で不公平な立場におかれていること」の二通りの用法があること、その二種類の用法から生じる齟齬について差蔑ではない差別 - Backlash to 1984で先述した。これについてブクマに寄せられたコメントをもとに、引き続き述べたい。 以下のやりとりをデフォルトとします。 A「それこそ差別だ!」 B「差別していない!」 A「差別する人ほど差別していないと強弁する!」 B「そういう決め付けこそ差別じゃないか!」 …お互い何を言い争っているか、ここでホンヤクコンニャクを出します。 (1)双方が、「差別」に該当者個人の蔑視や偏見を見て取る場合 A「それこそ人を見下した言い方だ!偏見だ!」 B「わたしはあなたを見下してないし偏見なんか持ってない!」 A「偏見で蔑んでいる人ほどそれを隠して言い張る!」 B「そ

    差蔑ではない差別(その2) - Backlash to 1984
  • 不義理 - Backlash to 1984

    勢ひ罵り合ひになって、 しかし真に罵っているのは自分だけで、 声を荒げて罵らずにをれないのが真実のことで、 相手は感情が昂ぶってもそれなりに余裕があって、 その余裕がまた癇に障り更に罵って、 ひとはみな余裕のある方を向き、 余裕の無い罵倒を憐れみ蔑み、 遠巻きに見て同情を投げかけ、 あるいは近寄って説教をし、 ますます自分があはれにみじめになって、 それでも立場など考へまして背負ふものなど考へてしまい、 使命感なぞ出てきて引っ込みつかずやめられなくなって、 背負へるほど足腰きたへてあるじゃなし、 地に足着かぬでそういふ喧嘩は買ふべきじゃなしに、 反吐はきながら買わずにをれないときもあり。 そのみじめな喧嘩で世の中変はるでなし、 でも、その見る人に届くものがないでなし、 それを望むなら気の済むまでやるしかないのかな。 いつの日にかの我が身を想ひつつ、 所詮は行きずり目にした喧嘩を見るばかり、

    不義理 - Backlash to 1984
  • 混線 - Backlash to 1984

    i_oritaさん(以下、折田さん)とMASASCIANTEのお二方のやりとりを、興味深く読んだ。すごく大事なやりとりなのだが、噛み合ってない。お二方とも、大事な点に言及している。しかし噛み合ってない直因は、これはやはり、お二方が未知の話題で議論をしているからにほかならない。だから、続かないと思う。このままでは単発で終わりそうだ。もったいない。そこで、私が論点を整理してみようと思う。 http://d.hatena.ne.jp/i_orita/20070225 ↑折田さんのコレは実にややこしいことになっていて、実は私も、MASASCIANTEと同じ違和感を持っていた。でも、 id:i_oritaさんへの書簡。 - みんな無敵だった、だけど…無敵だった ↑MASASCIANTEさんのコレのやりとり見て、折田さんの言ってることがわかった。 MASASCIANTEさんが違和感を持ったという二箇所

    混線 - Backlash to 1984
    satomies
    satomies 2007/03/05
    同意
  • 肉体と機械 - Backlash to 1984

    トカゲの尻尾切りのようになってきたのかそうではないのか柳沢発言。まぁ政治家の進退については好きにすればいいと思うので、せっかくだからこの話題についてもう少し考えてみることにする。そこで今回は、ただ政論としての前回・前々回とは少し趣を変えたい。肉体感覚についてである。私が多く見たのは、「女が子を産む機械だというなら、男は種を撒く機械だろう」というものであった。たぶん、これは「非礼には非礼をもって報いる」ということなのだろう。表現の品や礼の問題から言えば、これは確かに正対称なのだが、どうもそういうことではないようにも思う。ことに女の人で、腹立ちまぎれにそう言い返したところ、思ったより効き目がないことにお気づきになった方もいると思う。そこから考えてみたい。 有り体に言えば、セックスの話である。男が種を撒くといってもそれはセックスのときだけのことで、気持ちが良ございましたの刹那であって、そこまでで

    肉体と機械 - Backlash to 1984
  • 祖母の涙 - Backlash to 1984

    今日はお彼岸ということで、お盆には行けなかった墓参りに行ってきた。老いてすっかり弱ってしまい、病んで遠出が無理になっている父の名代としての墓参りでもあった。お墓は山中の霊園にある。秋晴れの好天にめぐまれ、空気がすがすがしかった。 我が家のみんなでお墓をきれいにして・・・と言っても、子供たちは「あ!ハナムグリ!」「おっ、ゲジゲジ!」などと虫にばかり気をとられていたが。が「お彼岸にお墓に来る虫は、ご先祖様の魂が虫になって帰ってきているんやけ、殺しちゃダメよ?」と言うと、子供たちは「え〜っ、そんなん初めて聞いた。ほんとにぃ?」と言う。私は「そういえば、民俗学か何かので、古老の語りとして読んだ覚えがあるけど・・・」と思ったが口にはしなかった。 霊園を出て帰りの車中、「気になっとったけ、お墓参りに来れて良かったぁ」とは嬉しそうに言う。道すがらに咲いている彼岸花を見て、次男が「赤い曼珠沙華をお墓

    祖母の涙 - Backlash to 1984
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