Twitter上で、いわゆる「ゲーデル問題」に関する議論が行われていたらしい。私はミステリー界にこの問題を持ち込んだ元凶とされているので、歴史的な資料として――自戒と反省もこめて――『現代思想』(1995年2月号)に寄稿した「初期クイーン論」の導入部分を再掲しておく(斜体字部分は、原文では傍点。煩雑になるため、註は省略した)。言うまでもなく、これはソーカル事件が明るみに出るより前に発表された文章である。 * はじめに 科学基礎論から分析哲学に転じた研究者である野家啓一は、「柄谷行人の批評と哲学」(『国文学』1989年1月号)と題したエッセイのなかで、次のようにいっている。 柄谷は「形式化」の極限において体系がパラドックスに陥り、内部から自壊せざるをえない構造機制を不完全性定理にちなんで「ゲーデル問題」と名づけている。かつて『隠喩としての建築』を読んだ時、私はその着眼の卓抜さと鮮かなレトリッ