タグ

ブックマーク / chanto.jp.net (6)

  • 「私の何が怖いんだ?もしかして顔?」地味でリアルな青春漫画が心を揺さぶる|CHANTO WEB

    デビュー作『氷の城壁』が大ヒットした後、現在は集英社マンガ誌アプリ「少年ジャンプ+」にて『正反対な君と僕』を連載中のマンガ家・阿賀沢紅茶さん。10代のもどかしさをリアルかつ繊細に描く作風に「あのころに引き戻される」とハマる大人読者が続出しています。 小雪を中心とした4人の高校生の成長を描く『氷の城壁』(c)阿賀沢紅茶/集英社 「いろんな人間が同じ空間にぶち込まれる」高校生活の異質さ ──『氷の城壁』はクールな態度から氷の女王と呼ばれることのある女子高校生・氷川小雪が主人公。友人たちと関わるうちに、だんだん彼女の心の壁が溶けていくようすが描かれます。小雪を中心とした4人の高校生の成長を描くいわゆる青春ストーリーですが、このテーマで描き始めたきっかけは? 阿賀沢さん:『氷の城壁』はもともと、インディーズサイトに趣味で投稿していたマンガなんです。スマホを縦にスクロールして読んでいくウェブトゥーン

    「私の何が怖いんだ?もしかして顔?」地味でリアルな青春漫画が心を揺さぶる|CHANTO WEB
  • 川嶋あい『こち亀』の両さんから曲作りのヒントも「音楽は楽しいことをめっちゃ苦しんでやる感じ」|CHANTO WEB

    2003年にI WiSHのaiとしてデビューした川嶋あいさん。曲作りには、川嶋さんが大好きな漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』からヒントを得ることもあるといいます。音楽活動は、好きなことを楽しくやるというより、好きなことをめっちゃ苦しんでやる。そう語る川嶋さんに、お話を聞きました。 好きな漫画の話をしながら、笑顔あふれる川嶋さん ── 2003年にI WiSHのaiさんとしてデビューされて20年。歌詞や曲は、どんなときに考えることが多いですか? 川嶋さん:日々、周りにアンテナを張りながら、フレーズが自然に浮かんでくることが多いですね。メロディーは鼻歌交じりで、歌詞は人との会話のなかで「この人、めちゃくちゃいい言葉を持ってる人だな」って影響を受けたりして。小説漫画も大好きだし、読んでいるときは、作品の世界に没頭しちゃうんです。 ── 漫画では『こちら葛飾区亀有公園前派出所』もお好きだとか

    川嶋あい『こち亀』の両さんから曲作りのヒントも「音楽は楽しいことをめっちゃ苦しんでやる感じ」|CHANTO WEB
  • 川嶋あい「しんど過ぎて、帰りたい…」制服を着た女子高生がひとり、渋谷で路上ライブを選んだ理由|CHANTO WEB

    高校生のときに、渋谷で路上ライブをはじめた川嶋あいさん。「路上ライブ1000回」を目指しつつも、はじめは苦労の連続だったとか。テレビ番組「あいのり」の主題歌に繋がる、路上での出会い。そして母の死。ひとりで歌っていたはずが、現在200人以上のレコード会社になった経緯とは。 道行く人から変な目で見られて… ── 川嶋さんは高校生のときに音楽活動をするために福岡から上京。その後、渋谷の路上ライブを始めたそうですが、何かきっかけがあったのでしょうか? 川嶋さん:東京に来て芸能事務所に入りましたが、半年くらいで解雇の宣告を受けてしまったんです。そこで、慌てていろいろなオーディションを受けたり、いちからデモテープを作っていくつか事務所にも送ったりしたんですが、全然うまくいかなくて。いよいよ、これはまずい…と思っていたときに、たまたま渋谷のストリートミュージシャンを見かけたんです。 自分でも、「これが最

    川嶋あい「しんど過ぎて、帰りたい…」制服を着た女子高生がひとり、渋谷で路上ライブを選んだ理由|CHANTO WEB
  • 川嶋あい「もし、自分が養子縁組の子どもを育てるとしたら…」お母さん、あの時はごめんねって思う理由|CHANTO WEB

    「働く女性の生きやすさ」にコミットするWEBメディア。「Reset our Lifestyle(ちゃんと、自分たちの暮らしを整えたい)」という想いから、現代の女性が直面する課題や解決法を紹介。暮らしの話題はもちろん、時代にそぐわない古い価値観、自分らしく働く方法なども積極的にシェアします。

    川嶋あい「もし、自分が養子縁組の子どもを育てるとしたら…」お母さん、あの時はごめんねって思う理由|CHANTO WEB
  • 川嶋あい「お母さんと全然似てない」と言われても笑うしかなかった 産みの母と育ての母の間で思うこと|CHANTO WEB

    3歳のとき、施設から養子縁組として川嶋家に引き取られた川嶋あいさん。ある日、突然自分の出生について知ったと語ります。その後、育ての母が亡くなると、産みの母に関する話を聞くことに。産みの母と、育ての母。「天涯孤独だ」と感じた川嶋さんが見えた景色とは。 「これ、どういうこと…?」 ── 川嶋さんが、ご自身が養子縁組の子どもだったと知ったのは12歳くらいだったと聞いています。どういった流れで、出生について知ったのでしょうか? 川嶋さん:母に、「家の金庫の1番目の段にある書類を持ってきて」って言われたときに、他の段も開けちゃったんです。そこで、私の生年月日と、私の名前の上に、知らない人の名前が書いてあって。出生や里親に関する書類がありました。 ── 偶然見つけてしまった。 川嶋さん:もう、かなりの衝撃でした…。周りの友達から、「お母さんと全然似てないね」って言われることは、よくあったんです。あまり

    川嶋あい「お母さんと全然似てない」と言われても笑うしかなかった 産みの母と育ての母の間で思うこと|CHANTO WEB
  • 川嶋あい「中学時代から28歳まで毎食カップラーメン生活」借金をしてでも歌わせてくれた育ての母|CHANTO WEB

    3歳のときに、養子縁組として施設から川嶋家に引き取られた川嶋あいさん。3歳から歌のレッスンを始め、精力的に取り組んでいました。しかし、川嶋さんが10歳のころに父が亡くなり、母も入退院を繰り返していきます。借金をしてまで、音楽活動を続けさせてくれたのはなぜだったのでしょう。 1軒家の大きな家から小さなアパートに ── 3歳から音楽教室に通われたとのこと。歌を始めたきっかけは、何だったのでしょうか。 川嶋さん:人見知りが激しかった私を心配して、母が私を音楽教室に連れていったんです。何か心が開くきっかけになったら…って思ったみたいですね。 音楽教室の体験レッスンでは、私が歌を歌うと、いつもの泣き顔からすごく笑顔になったみたいなんです。母が、そのときの笑顔が忘れられないって、そこから音楽人生が始まりました。 ── 川嶋さんのお母さまが、川嶋さんの歌にかける情熱も凄かったそうですね。 川嶋さん: 私

    川嶋あい「中学時代から28歳まで毎食カップラーメン生活」借金をしてでも歌わせてくれた育ての母|CHANTO WEB
  • 1