基本的には気を付けているつもりだが、何年かに一度、迂闊にも差別語を原稿に書いてしまう。そうすると編集部から訂正要請と言おうか何と言おうか、が来る。 訂正に応じるにはやぶさかではない。私の場合、どうしても差別語を書く必要性などないに等しいからであり、よほど特殊な問題を扱っているのでもない限り、拘らなければならない筋合いがあるとも思わない。第一、迂闊なことを迂闊に活字にしたら後が恐ろしい。勝負を掛けた本の初刷が言葉狩りに引っ掛かり版元回収を食らった知人がいるが、一応改訂版は出してもらえても、書店はもう並べなかった。そういう目に遭いたくなければ、はいはいと言うことを聞いておくのが利口というものだ。 然り。差別語を自ら刈り込むのは、別段それによってハンディキャップを持ったり不当な立場に置かれたりしている人々の傷付きやすい心を慮ってのためではない。ただもう面倒臭いからだ。ところでここにもう一つ、面倒