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ブックマーク / tamanoir.air-nifty.com (3)

  • 2006.2.6 - 日記

    ムハンマドのカリカチュア事件についてである。例のデンマーク製の、手榴弾型ターバンをかぶったムハンマドを「私はムハンマドを描いてはいけない」という文字で描き出したカリカチュアがイスラム教徒の憤激を呼び、一方、言論の自由を守れとばかりにヨーロッパ各紙が転載したり支持の記事を載せたりしている、という、あれだ。 描いた奴の低能と無神経は呆れるばかりだ。まず第一に、ムハンマドはテロリストでは全然なく、イスラム教徒の99%もテロリストではない。ムスリム=テロリストの紋切型は、その点に関して相当な愚鈍さを発揮し続けたアメリカ映画でさえ最近は抑え気味なのに、まだそんなことをやって、しかも面白いと思っているのか、こそ大いに批判されてしかるべきだろう。第二に、やるにことかいて何だその「私はムハンマドを描いてはいけない」は。あんたには関係のない話だろう? そんなにムハンマドを描きたいのか? 描かなきゃならない理

    2006.2.6 - 日記
    savejapan
    savejapan 2006/06/19
    「無神論は多文化共存の原則たり得ない。他者の信仰を尊重するという姿勢が全くないからだ」
  • 佐藤亜紀日記: 2006.6.12 言葉狩りについて

    的には気を付けているつもりだが、何年かに一度、迂闊にも差別語を原稿に書いてしまう。そうすると編集部から訂正要請と言おうか何と言おうか、が来る。 訂正に応じるにはやぶさかではない。私の場合、どうしても差別語を書く必要性などないに等しいからであり、よほど特殊な問題を扱っているのでもない限り、拘らなければならない筋合いがあるとも思わない。第一、迂闊なことを迂闊に活字にしたら後が恐ろしい。勝負を掛けたの初刷が言葉狩りに引っ掛かり版元回収をらった知人がいるが、一応改訂版は出してもらえても、書店はもう並べなかった。そういう目に遭いたくなければ、はいはいと言うことを聞いておくのが利口というものだ。 然り。差別語を自ら刈り込むのは、別段それによってハンディキャップを持ったり不当な立場に置かれたりしている人々の傷付きやすい心を慮ってのためではない。ただもう面倒臭いからだ。ところでここにもう一つ、面倒

    佐藤亜紀日記: 2006.6.12 言葉狩りについて
    savejapan
    savejapan 2006/06/19
    「ただ単に圧力に屈したからである」「言葉狩り発動、ひええお助け、とか言ってりゃ済む問題なのである」
  • 佐藤亜紀日記: 2006.5.22 ダ・ヴィンチ・コード-無邪気な宗教弾圧

    突っ込みどころ満載でパロディになってしまった『ニーベルングの指輪』の後で、馬鹿正直に『指輪物語』を書くのもかなり恥ずかしいことだとは思うが(それを映画に起こすのはもっと恥ずかしいが、『キング・コング』の予算を捻出するためというなら許さんこともない)、《とんでもを追い掛けて行って恐ろしい真実を発見する》物を徹底的に虚仮にした『フーコーの振り子』の後で『ダ・ヴィンチ・コード』を書くのもいい線みっともない話だ。誰かエーコ先生に批評を書かせてないのか。あまりの馬鹿ばかしさに虚脱しちゃって書けないか。 で、単なるとんでも追求小説で受けている間はまあよかった訳だが(古いネタだよな、とは思ったが)、ダ・ヴィンチ・コードの展覧会だの、ダ・ヴィンチ・コードの特集番組だのが大々的にやられて、とんでもどころか、見た奴がみんな真に受けているとなると、うんざりを通り越してげっそりである。某朝日新聞が連日コラムでカト

    佐藤亜紀日記: 2006.5.22 ダ・ヴィンチ・コード-無邪気な宗教弾圧
    savejapan
    savejapan 2006/06/19
    「朝日新聞が連日コラムでカトリックの怒りとやらを笑いものにしているのにもげっそりである」「そりゃ特定宗教の弾圧だ」
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