スペクタクル社会に亀裂をつくるために 「状況主義者」という奇妙な名前をはじめて聞いたのは六〇年代の末だった。ウニタ書舗の遠藤氏から、フランスの状況主義者というのが日本の新左翼に連絡をとりたがっているのだが……というような話を聞いた。フランスにも『情況』派がいるんですかね、というのは雑誌『情況』から連想した遠藤氏の冗談だったが、その話がどうなったかは覚えていない。 しかしそれから後も、フランス五月革命の記録などでこの状況主義者あるいは「シチュアシオニスト・インターナショナル」(以下、ISと略す)という名前にはたびたび出会うことになり、わたしの関心は深まるばかりだった。わたしがISにとくに関心をもったのは主として三つの理由からだった。一つは、わたしたちの世代が母斑のようにひきずっている「政治と文学」という問題からであり、もう一つはわたしの六〇年代の結論となった「党によらない革命」という考えに共
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