・裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 ペリーの日本遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日本人を「淫猥な人たちだ」といい、フランス人は「日本人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。 150年前の日本では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日本人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。 江戸時代の日本人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘
・日本辺境論 非常に面白い。わかりやすい。いい本だ。 日本人の島国根性の本質を「辺境人」としてずばり言い当てる。 「ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくか、もっぱらその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。」 かつては中国であり、欧米列強であり、今はアメリカあたりが中心になっている。 「私たちに世界標準の制定力がないのは、私たちが発信するメッセージに意味や有用性が不足しているからではありません。「保証人」を外部の上位者につい求めてしまうからです。外部に、「正しさ」を包括的に保証する誰かがいるというのは「弟子」の発想であり、「辺境人」の発想です。」 この本が面白いのは、辺境人だからダメだ、というのではなくて、辺境人の強さもあるとい
魚の目:魚住 昭 責任総編集 ウェブマガジン魚住 昭 責任総編集 ウェブマガジン 魚の目は、小さくても、痛いし、根が深くて、しつこいです。「魚の目」は、身に 覚えのある人にとっては痛い、そうじゃない人にとっては痛快な雑誌をめざしています。ご愛読ください。 オランダ大使館の現地職員の中に、広報文化班で永年勤めてきたエリザベス・ヴァン・デルウィンドという女性がいる。積年広報文化を通じてオランダ社会にくいこんでいるだけではなく、夫君は陸軍の要職にあり、そういう背景も手伝ってオランダの王室から政界の要路に幅広い人脈を持っている。元来はカナダ人で英語がネーティヴ、私の大使時代には、オランダ社会との接触拡大の知恵袋でもあり、また、スピーチ・ライターの役割も果たしてくれていた。 偶然にも、ヴァン・デルウィンド家はライデンに住んでおり、退官後最初にライデンに戻ってきた時以降、ライデン生活での生活設計を含め
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