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ブックマーク / blog.k05.biz (2)

  • 人は人を救えるだけの力を持ち得ない | 某氏の戯言

    みんな嘘つきだ。俺のことに関心があるなどといっても、それは相手が一方的に俺をウォッチしているだけのことで、別に俺自身のことなどどうでもよいのだ。俺が如何に精神的窮地に陥ろうとも誰も俺を助けない。この社会にいる全員が俺を助けない。 みんな死ねばいい。この世など終わればいい。そうすれば千年の国がやってくるのだから。そうしないと、私は救われない。地上に、有限の他者に、救いなど決してありはしない。 http://d.hatena.ne.jp/scinfaxi/20090317 私は、人は人を救えるだけの力を持ち得ないと思ってるので、あまり誰かに助けてもらえなくても、それが当たり前だと思うことにしている。 実際問題、人を救いたいと思っても、なかなか難しく、結局は何もできずに終わることも多い。でも、何もできずに終わることがわかっていても、人は手を差し伸べてくれるとは思う。 人を救えない無力さを知っても

    人は人を救えるだけの力を持ち得ない | 某氏の戯言
    scrt8sh
    scrt8sh 2009/11/29
    結局自分の足で立つしかない。でも誰かいないと立てなかったかも、と思う事もある。
  • 人格と行為は本当に完全に分離できるのか? | 某氏の戯言

    「罪を憎んで人を憎まず」という論理が世間一般に通りにくくなってる現状で、人格と行為を分離して考えられる人はいるのだろうか?と思う。 行為の批判は、当に人格の批判ではないのか?原因と結果が密接に関連しているように、人格と行為も密接に関連している。しかしながら、原因が「運が悪い」と言う理由で結果が出るときもある。だから、この場合は原因は不確定になる。密接に関連しているように見えて、実はそれほど密接ではない。だから、文章をゆるくかけば、行為の批判に見せかけて人格を否定することも可能だし、また受けて側も行為の批判を人格の批判と捉える傾向が高くなるのは仕方がないだろう。 僕の考えだと、人に理解されないなら、自分自身は人を理解できるような人になろうと考えるが、人に理解されない人たちすべてがそう考えてるわけではない。 ・[コミュニケーション]キモイって言われて傷つきましたって泣くのって、自ら「オタク

    人格と行為は本当に完全に分離できるのか? | 某氏の戯言
    scrt8sh
    scrt8sh 2009/11/29
    殆どの場合分離できない。でも分離したのを装って他人を傷つけることはできる。
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