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ブックマーク / phoiming.hatenadiary.org (1)

  • 郊外論と当事者性:サイタマノラッパー、サウダーヂ、ひかりのおと - phoiming

    作品評ではないのだけれど、「ひかりのおと」を観たあと考えたけど書ききれなかったことを備忘録的にまとまりなく。 ●「地方郊外」発の物語と当事者性 こうした流れは、ジャーナリストや学者たち「中心」の立場から地方を「周縁」化する言説に対して、当事者の立場(およびそれを名乗る立場)からの「対抗言説」としても理解できるように思う。(無論、既に30年以上こうした議論では飽きるほど言われてきたことでもあるし、過剰な読み込みという謗りは免れないだろうけど。) 「ひかりのおと」同様にこうした映画は近年とりわけ目立っている。例えば、思春期を過ごした埼玉県深谷市を舞台に入江悠が監督した、郊外のダメ・ニート・ラッパー映画『サイタマノラッパー1・2・3』(2009・2010・2012年)。山梨県甲府市出身の富田克也監督が参加する制作チーム「空族(くぞく)」による、郊外のリアルな風景と「ヤンキー」生活の閉塞感を捉えた

    郊外論と当事者性:サイタマノラッパー、サウダーヂ、ひかりのおと - phoiming
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