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2017年8月15日のブックマーク (2件)

  • 実家を大掃除した

    諸用あり帰省した。 祖父母の元気がいよいよなくなってきているという母親の脅しもあり、高い飛行機のチケットを買った。 「実家で羽を伸ばしてきてね」 という同僚たちの声かけがありがたかったが、帰省には内心うんざりしていた。落ち着けないなと思った。自分がこの世で心底落ち着ける場所は、もはや東京都北区6畳ワンルームの寝床のなかだけな気がしていた。 家族はあまりきれい好きではなくて、というか掃除が大嫌いだから、実家は埃まみれで汚い。もともと自分は不潔な子供だったと思う。お風呂も2日に1回だったが、それが当たり前だと思っていた。 けれども実家がゴミ屋敷めいて汚くなり始めたのは、大学進学に伴って家を出てからだ。自分が関東の大学に進学し、学費のため母親が働くようになり、家の隅々まで気がまわらなくなり汚くなった。つまりは自分のせいだ。 学生となり帰省したある夏、自分の部屋に、お菓子をべたあとのごみがうず高

    実家を大掃除した
    seachikin
    seachikin 2017/08/15
    この家はもともとそこまででもなかった、お母さんが働いて疲れてるから手が回らなくなったから、実際はお母さんは片付けたかったんだろうね。よかった。うちも今度掃除しようかなぁ。
  • 最後の伝え手として 張本勲さんに聞く|NHK NEWS WEB

    のプロ野球でただ1人、3000安打を達成するなど、球界を代表する打者として活躍した張勲さん(77)。5歳のとき、出身地の広島市で被爆、姉を失いました。現役時代はもちろん、引退後もしばらくは自分が被爆者であることを周囲に語らなかった張さんですが、10年ほど前のある出来事をきっかけに、みずからの被爆体験を積極的に若い世代に語り伝えようとしてきました。張さんの野球人生に、原爆はどう影響したのか、被爆体験を語らせるよう張さんを突き動かしたものは何だったのか。そして、戦後72年が経ったいま、被爆者として何を思い、何を伝えようとしているのかを聞きました。(アナウンス室・北野剛寛アナウンサー) 昭和20年8月6日の朝。5歳だった張さん。広島市の自宅から遊びに行くため戸を開けようとした瞬間でした。 それこそピカドン、当にぱあっと光って、どーんという音がしたことしか覚えていないんですよ。気

    最後の伝え手として 張本勲さんに聞く|NHK NEWS WEB
    seachikin
    seachikin 2017/08/15
    被爆経験者、戦争経験者がほぼ同じような結論に達するなら、それは大事な意見だと思う。実際我々も戦争を経験したときみんな同じように思うのではないか。