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今東光 妻の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 作家の写真を読む② - 昼の軍隊

    以前、ブログで「作家の写真を読む」という記事を書いたことがある。作家を被写体にした写真集の紹介だ。今回はそれの続きを書こうと思う。俺がどういう写真を好んでいるかということについては、前回の記事を参考にしてほしい。 相田昭 『作家の周辺』 相田昭は著書に付されたプロフィールによれば、 1946年、長崎生まれ。法政大学在学中はアラスカ・キングピーク峰に遠征するなどアルピニストとして活躍。卒業後もTBS報道局でアルバイトをしながら登山を続け、山岳写真を手がけるようになる。1974年、写真家として独立。雑誌の仕事で作家や画家のポートレイトを撮り始め、人物写真に傾倒する。1983年、小川国夫氏の著作『彼の故郷』に感銘をうけ、小川氏を被写体に写真展「彼の故郷」を開く。以来、今日まで数多くの作家や詩人、画家などと交流、その人間像に迫る写真を撮り続けている。 本書には相田による、作家との出会いについて書い

      作家の写真を読む② - 昼の軍隊
    • 「未完成の生涯」 勝新太郎と市川雷蔵 - そして男は時計を捨てた・・・

      かつて昭和の映画界には勝新太郎と市川雷蔵という2大スタ-がいました・・・ 2人は同い年のライバル・・・そして共通するのが「未完成の生涯」・・・ 勝新太郎は長唄三味線の師匠の子として生まれ、彼もその道へ進んでいきました。しかし、1954年、23歳の年に突然、映画俳優に転身するのです。 もともと芝居は好きでした。父が歌舞伎座で長唄三味線を弾いていたのでついていき、舞台袖から、当時の名優である6代目尾上菊五郎、15代目市村羽左衛門、初代中村吉右衛門らの芸を見て、覚えました。 しかし、いくら台詞を暗記し、演技を覚えても、長唄三味線の子が歌舞伎役者になれる道はなく、映画への道を選んだのでした。 1954年8月公開の『花の白虎隊』が勝新のデビュー作です。俳優としての訓練を経ずに、いきなりの映画出演でした。しかし、主役ではありません。 『花の白虎隊』の主役は、やはりこの作品が映画デビューとなった、歌舞伎

        「未完成の生涯」 勝新太郎と市川雷蔵 - そして男は時計を捨てた・・・
      • 【北村兼子】女性有名人・一般女性たちの「政治的発言」@100年前の女性誌

        ★雑誌『婦人倶楽部』(大正15年/1926年)「吾等女性は何を一番痛切に要求するか」と題した企画に寄稿したものです。兼子以外の女性たちの意見も、同企画内から抜粋して掲載します(肩書は記事中ママ)。 ★この年の秋ころから、大衆紙上で北村兼子に対するセクハラ、バッシングが悪化。これに対して兼子は同誌で被害体験も寄稿しています。『婦人倶楽部』は料理やファッション、生活ネタなど一般的な女性誌の面もありつつ、政治や社会問題に対して女性が堂々と声を届ける雑誌でもありました。 ****** *参政権さえ与えたら 北村兼子(大阪朝日記者) ただいま、婦人が要求しているところは公娼廃止、家庭における婦人の位置、民法(妻の財産権など)、刑法(姦通など)の改正、婦人の保護(深夜業、工業など)いろいろありますが、そんなものは目先の問題で、参政権さえ与えたら、みなゴテくさなしに解決します。 現に普選によって政治的に

          【北村兼子】女性有名人・一般女性たちの「政治的発言」@100年前の女性誌
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