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山花貞夫の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 「利用する、便利じゃん」の末路としての小選挙区制と安倍政権 - ももばと友の会

    小選挙区制について話題になっていたので書く。 amon.hatenablog.com 最初に言っておくが、ここでid:D_Amon氏が言っていることは嘘ではない。自民党はずっと小選挙区制をやりたかった。根拠が新日本出版社の書籍だからといっても本当のことだからしょうがない。問題はなぜ自民党政権の時ではなく、細川連立政権の時に小選挙区制になったのか、ということだ。 なんでD_Amon氏がちゃんと書かないのか分からないが、当時は小選挙区制に賛成しないのは頭の固い守旧派みたいな雰囲気ができあがっていた。背景にあったのはリクルート事件や佐川事件などの金権政治批判だ。また、族議員や派閥政治という自民党の問題も大きく批判されていたという背景もあった。そこで出てきたのが政治改革の議論だ。金権政治批判は、中選挙区制は不正の温床だし、政権交代ができにくい。だから政権交代できる選挙制度にしよう! そうだ!小選挙

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    • 小沢一郎「細川政権があと1年続いていれば…」 - 佐藤章|論座アーカイブ

      小沢一郎「細川政権があと1年続いていれば…」 (19)1993年、非自民連立政権樹立の舞台裏 佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長 自民党下野、細川政権誕生 保守合同のあった1955年以来38年間続いた自民党一党支配体制が初めて崩れる日がやって来た。 その日は日本政治に関わる様々な人々の決断が何重にも積み重なった末に到来したものだったが、中でも二人の政治家の決断が決定的に重要だった。 ひとりは非自民連立政権の首相となった細川護煕。 もうひとりは、その政権の構想を描いて実現させた小沢一郎だった。 政治改革に対する姿勢が消極的な宮沢喜一内閣に対する不信任案が成立したことを受けて衆院解散。1993年7月18日、総選挙を迎えた。その結果、自民党は223議席で、自民系無所属を加えても過半数には届かなかったが第一党の地位を保った。 自民党とともに「55年体制」を支えてき

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      • 年金問題は若者の自民党支持を減らさない : 「平和構築」を専門にする国際政治学者

        「平和構築」を専門にする国際政治学者 篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。 参議院選挙の公示にあたり、新聞社が政党支持率の調査の結果を公表した。政権支持率は60歳以上では半分以下だが、20代では7割になる、などと報道した。 この現象について様々な角度からの検証をするのは大切だろう。しかし新聞等の

          年金問題は若者の自民党支持を減らさない : 「平和構築」を専門にする国際政治学者
        • 靖国参拝は1975年まで当たり前だったのに…首相の8月15日参拝、なぜ問題化したのか - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

          靖国参拝は1975年まで当たり前だったのに…首相の8月15日参拝、なぜ問題化したのか 社会・政治 投稿日:2022.07.21 11:00FLASH編集部 1975年、というより昭和50年、三木武夫首相は靖国神社に参拝しました。 それまで歴代総理大臣は春秋の例大祭に参拝していたのですが、三木は「8月15日」に参拝し、「私人として」の参拝を不必要に強調したパフォーマンスを行ったので、以後、マスコミが「私人か、公人か」と騒ぐようになりました。首相の靖国神社公式参拝については現在でも揉めています。 【関連記事:60兆円の税収しかないのに歳出は100兆円…いまこそ「財政規律」を目指した男・齋藤次郎を思い出せ】 参拝の背景には、少数派閥の三木の政権基盤が弱体であるため、右派の支持を得ようと人気取りに走ったことがあります。第2派閥の福田赳夫を味方につけようとしたのです。 三木本人は党内左派の代表と目さ

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